経済・企業 緊急特集 世界大動乱
《緊急特集》日本経済が陥った「恐怖の円安」 輸出は伸びずインフレだけが進む=寺島実郎
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為替を読み解く 「恐怖の円安」に陥った日本 産業基盤の立て直しが必要だ=寺島実郎
日本円の実力を示す「実質実効為替レート」が50年ぶりの円安水準にまで下落している。50年前といえば、1971年のニクソン・ショック(ドル・ショック=金・ドル交換停止)があった時代だ。日本の通貨の価値が、この時の水準まで下落したという意味を考えなければいけない。
日本が円という通貨を採用したのは1871(明治4)年のことだ。円の価値は1ドル=1円からスタートした。第二次世界大戦開戦前は実勢レートで1ドル=2円ほどだった。ところが敗戦後の1949年、連合国軍総司令部(GHQ)によって「ドッジ・ライン(財政金融引き締め政策)」が実施され、1ドル=360円の為替レートが決まった。つまり敗戦によって、円の価値が180分の1にまで下落したのだ。
そこから日本は、鉄鋼・エレクトロニクス・自動車産業という基幹産業を育てて外貨を稼ぎ、「工業生産力モデル」の優等生として突き進み、豊かな経済を実現してきた。その後、「日本円は安すぎる」と圧力を米国から受けるようになり、そうした中で行き着いたのが1971年のニクソン・ショックだった。
国際社会で自分の国の通貨が相手にされないという悲しみを味わったことがないまま、日本人はこの50年間を生きてきた。通貨価値が崩れる時の怖さや惨めさを知らない。
アベノミクスの失敗
私には忘れられない記憶がある。三井物産に入社後の75年に、英ロンドンへ長期出張した。現地の邦銀の出先が円からポンドに両替してくれるくらいで、ロンドンの他の銀行では日本円を受け取ってもらうことはできなかった。富士銀行(現みずほ銀行)のトラベラーズチェックを出した時は「フィジー島の銀行か」と勘違いされたくらいだ。私が、自国の通貨が国際社会で通用することがどんなに大切かを痛感した最後の世代だと思う。
プラザ合意(85年)などを経て、円相場は上昇を続け、円高へと突き進んだ。じわじわと国際社会の中で評価を高めていったのだ。ところが、2012年には1ドル=70円台にまで突入し、産業界を中心に「円は高すぎる」という圧力に耐えかねていた。何とか円安に誘導できないかという空気の中で登場したのが、第2次安倍晋三政権による経済政策「アベノミクス」だった。
通貨が乱高下することは良くないが、国際社会の中で通貨の評価を高めていくことは、本来は健全なことのはずだ。しかし、日本ではこの10年間「円安が望ましい」との考えに陥ってしまった。この考え方によって、足元ではバックファイア(裏目に出る)が起きている。日銀の黒田東彦総裁は今年に入ってもまだ「円安にメリットがある」と発言を続けている。
欧米主要国がそろって金融政策の正常化を進めている一方で、日本だけが金融緩和を長期化させており、後戻りできない状態に陥っている。
安倍氏は既に首相…
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週刊エコノミスト
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