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国際・政治 ウクライナ危機

中距離ミサイルが7分でモスクワに ウクライナの「核武装」を恐れるロシア=下斗米伸夫

隣国の「核武装」恐れたプーチン 中距離弾は7分でモスクワ到達=下斗米伸夫

 <核心 ウクライナ危機>

 ウクライナはソビエト連邦が崩壊した1991年に主権国家になった。しかし、ウクライナの歴代政権は内部対立が絶えず、今回の危機まで国民国家にはなりきれなかった。国土の西側はカトリック系ポーランドとの関係が深くウクライナ語を使う。一方東側はロシア語を使い、ロシアとの結びつきが深い。さまざまな国内の対立がずっと続いたまま、大統領も西側と東側の出身者が行ったり来たりしてきた。

「1インチも拡大しない」はウソ

 ロシアによるウクライナ侵攻は、北大西洋条約機構(NATO)が90年代半ばに本格化させた「東方拡大」への不信感が根底にある。もともと90年の東西ドイツ統一前に、米ブッシュ(父)政権のベーカー国務長官が、旧ソ連のゴルバチョフ書記長に対し「NATOは東方へ1インチも拡大しない」と伝えていたとされる。この発言はその後、ワルシャワ条約機構(旧ソ連を中心とした東側の軍事同盟)が解体し、ソ連も崩壊したことで、正式に文書化されることはなかった。

 96年にクリントン米大統領は再選を目指した選挙戦の最中に、NATOの東方拡大を表明した。冷戦を予言したジョージ・ケナン氏ら多くの外交官が強く反対したが、ポーランドなど東欧系の有権者からの支持を得るためにクリントン氏が押し切った格好だ。

 この結果、99年にはポーランド、チェコ、ハンガリーの東欧諸国がNATOに加盟した。ロシアとドイツの間にある東欧諸国をNATOに引き入れたことで、ポーランドがNATOの最前線基地になった。欧州の安全保障の構図が大きく変化したのだ。

 一方、ウクライナも大きな変化があった。2014年に起こった「マイダン革命(ウクライナ騒乱)」と呼ばれる抗議行動だ。親ロシア派だったヤヌコビッチ大統領に対し、親欧米派が激しく反発。治安部隊とデモ隊が衝突し、多数の死者を出す事態となった。親欧米派の不満を抑えることができなかったヤヌコビッチ氏は、キエフから逃亡する結果となった。その後、「チョコレート王」と呼ばれた実業家で親欧米派のポロシェンコ氏がウクライナ大統領に就任。ポロシェンコ氏は19年に憲法を改正し、NATO加盟への道を選んだ。その直後の5月にはポロシェンコ氏に代わり、俳優出身のゼレンスキー氏が大統領に就任した。

 ゼレンスキー氏は当初、ロシアとの間で和平交渉の再開を目指した。フランスとドイツを和解の立会人にするはずだったが、進まなかった。ゼレンスキー氏は「和平派」であったが、クリミア半島の取り戻しや「二つの共和国問題(ウクライナ東部ルガンスク、ドネツク両州の一部)」への対応で態度を硬化させた。米バイデン政権が発足すると、20年11月、アゼルバイジャンがトルコ製軍用ドローンを使って親露派のアルメニアを大敗させた先例がゼレンスキー氏にNA…

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