経済・企業

原発再稼働を論じる前に11年も先送りしてきたことを今こそ考えよう=寿楽浩太

 電力逼迫を目前に「原発待望論」が強まっている。だが「どこまで安全を求めるか」の社会的コンセンサスが日本にはない。

誰も保証していない「十分な安全」

 電力需給逼迫(ひっぱく)問題が風雲急を告げる中、一部で「原発待望論」が強まっている。あえて再稼働を控えてきた原発を(政府が今冬の再稼働を決めた9基以外も含めて)稼働させていけば、問題の解決に大いに資する、という議論だ。本稿はこれに一石を投じたい。その議論の前に考え、判断せねばならないことがあり、それは私たちが震災以来の11年余の間、先送りし続けてきたものだと考えるからである。

 2011年の東京電力福島第1原発の事故後、各原発では安全性向上対策が進められ、電力会社は各社合計で5兆円超ともいわれる巨費を投じてきた。震災以前と比べれば、現在の方がより安全なことはおそらく確かだろう。

 しかし、事故の反省からつくられた、原発の安全審査をする国の機関「原子力規制委員会」は、発足以来、「安全に終わりはない」「これで安全とお墨付きを与えることはない」との態度を貫いてきた。他方、政府は規制委が基準に合格させた原発は再稼働する、との方針でまた、一貫している。

 原発と安全の議論は、いつもここで安全問題のあい路に入る。

 前よりも安全であることは誰にも分かるが、それが十分かは誰も保証していないからだ。原発を巡る司法の判断が多様を極めてきたことも、それと関わる。さらには、立地地域での再稼働受け入れの判断が難しい地方政治上の課題となることも、大いに関係する。安全についての確証が持てないことが常にネックとなってきた。

 原発利用の是非そのものをめぐる論争は12年末の安倍政権の成立以降、「依存の低減」という緩やかな均衡点に収れんしたままである。原発利用を強力に推進した自民党がこの方向性を維持し続けてきたのは、かつてのように「安全」を確かなよすがとして合意形成を図ることはもはや難しいことを、自民党自身が見抜いていたからだともいえるだろう。

カギは“安全目標”の活用

 ある技術を利用しようとする場合、「ここまで安全を確保すれば十分」という水準を決めなければ、誰もその是非を判断できない。安全を測る尺度を決めることも必要になる。国際的には、望ましい安全の水準を示す「安全目標」を設定し、それに見合うさまざまな基準を設けることで、社会が求める水準の安全を具体化、体系化するのが一般的だ。

 原発の場合、核燃料を入れる炉心や、炉心を覆う格納容器が壊れる確率を示す「炉心損傷頻度」や「格納容器機能喪失頻度」が安全目標として用いられてきた。

 福島事故後には、原発が壊れるかどうかについての尺度だけではなく、周辺環境に与える悪影響についての尺度も必要だという議論があり、事故により放射性物質を外部に大量に放出してしまう確率を測る「大規模放出頻度」が、日本でも安全目標に追加された。

 問題は、この安全目標の尺度や設定値が本当に適切なのかの議論が社会に開かれていない点だ。

 規制委は、安全目標は技術論から科学的に導かれるもので、妥当性を社会に説明はするが、安全目標を設定する際に社会の声…

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週刊エコノミスト

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