海賊を祖とする“海の国”の資本家が今“ゼロ金利”で衰え始めている 水野和夫
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格差拡大は資本主義の必然
サラリーマン家庭に育ったのでは、資本家にはなれない。資本家になるには巨額の投資、つまり元手が必要だからだ。事業に成功したITベンチャーは資本家とはいえない。ベンチャーキャピタルやエンジェル(投資家)と称する資本家がいて、初めて起業できたからだ。
すると、今世界に存在する資本家は、なぜそうなれたのか。
英国の経済学者J・M・ケインズ(1883~1946年)は「英国資本家の第1号はフランシス・ドレイク(1543~96年)」と指摘している。ケインズは資本の蓄積が可能となったのは「1580年にドレイクがスペインから略奪した財宝」を英国に持ち帰ったことに端を発しているという。当時、欧州は価格革命の時代を迎えており、物価が上昇し実質賃金が大幅に下落、利潤が増加したからだ。すなわち、その本質は「利潤革命」だったのである。
ケインズは最初の資本蓄積は略奪(海賊資本主義)から始まったという(資本主義起源16、17世紀説)が、私は13世紀説をとる。大航海時代に活躍したドレイク提督が南米で海賊行為をしたり、英国の東インド会社(1600年設立、1858年解散)がインド支配を強めるなど、「より遠く」が資本極大化に不可欠な要素だとすれば、資本主義の原型は13世紀にさかのぼる。東インド会社はもともと12~13世紀に東方貿易にかかわっていた胡椒(こしょう)商人の組合を起源にするからだ。
「神の見えざる手」の誤解
「資本家精神は商業とともに出現する」。こう断言したのは、ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌ(1862~1935年)だ。11世紀まで生活に必要な食糧を確保するための農業は、利潤追求の概念とは無縁だった。
ところが、12世紀に誕生した商人の意識や行動はそれまでの社会とはまるで異質なものだった。つまり、農業社会から商業社会への転換期となったのである。
ピレンヌは資本蓄積(資本主義)の主体はいつも「社会ののけ者」だったという。彼らの利潤動機は、「もうけるために売る。買う」。要するに利潤追求だ。資本主義の原点がここにある。現在の強欲資本主義、ビリオネア(保有資産10億ドル以上)に通じる。彼らも「確立された一般社会の外側にいるのけ者」だ。
資本主義の起源が、13世紀の強欲にまみれた「のけ者」や16世紀の海賊とするなら、最初から「持つ者」と「持たざる者」に二分されており、その格差が広がっていくのが資本主義の本性だろう。すると、現在存続する資本家は、何らかの形でサラリーマンでは手にできない財を生まれながらに持つ立場であったに違いない。アニマルスピリッツ旺盛な人物が、投資家から資金を集め、事業に成功した資本家も一部にはいるかもしれないが、それも元手をどうにかしなければ、資本家にはなれない。
ただ、その後の資本主義の歩みを振り返ると、1989年の米ソ連冷戦終結まではどうにか機能した。それは元来、資本主義が持つ過剰に資本を蒐集(しゅうしゅう…
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週刊エコノミスト
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