権力に伴走してきたロシアバレエに戦争が「意味」を問う 斉藤希史子
有料記事
権力に翻弄(ほんろう)され続けてきたロシアのバレエ。ウクライナ侵攻はウクライナとロシアの双方に「芸術の意味」を問うている。>>特集「戦争とロシア芸術」はこちら
政治と無縁ではいられない芸術
「イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで実った」といわれるバレエ。ルネサンス期の宮廷舞踊に端を発し、太陽王ルイ14世や歴代ツァーリ(皇帝)に庇護(ひご)されてきた。その土壌は常に宮廷であり、権威のシンボルとして発達してきたことを忘れてはならない。根源的に政治と無縁ではいられない芸術なのである。
そして、20世紀初頭、バレエの中心地ロシアで革命が起こった。貴族趣味の権化のような芸術は、帝政と共に葬り去られても不思議はない。だが指導者レーニンは、「伝統をやみくもに否定するのではなく、その成果の上に社会主義を樹立する」道を選んだ。舞踊史研究家の斎藤慶子氏によると、その陰には屈指の教養人ルナチャルスキー・初代教育人民委員(文化大臣)の奔走があったという。旧体制の遺産を踏襲する柔軟な知性を、ボリシェビキ(後のソ連共産党)は有していたのだ。
演目にみる「懐の深さ」
筆者はこの経緯を聞く度に、第二次大戦後の日本で天皇制を護持した連合国の深慮を重ねずにはいられないのだが、ともあれ、バレエの命脈はこうして保たれた。そして以降の政権で、プロパガンダに利用されていくことになる。
その意味で、2019年秋のロシア・ミハイロフスキー・バレエの東京公演は象徴的だった。演目は「眠れる森の美女」と「パリの炎」。帝政ロシアの威信をかけて1890年に制作された前者は、眠りから覚めた姫が王統をつなぐまでを華々しく描く。絶対権力者ルイ14世へのオマージュ(称賛)として企画された。後者は1932年、十月革命の15周年を記念して初演された、ソ連政府の肝いり作品だ。主題はフランス革命で、「自由・平等・友愛」を掲げた民衆がルイ16世を打倒する。バレエという古典的な形式で「革命万歳」を叫んでいるのだ。14世の栄光と、その子孫である16世の処刑を並べて恥じない融通無碍(ゆうずうむげ)……。この懐の深さこそが、ロシア・バレエの真骨頂なのだろう。
舞台で戦争支持の「Z」
今春のウクライナ侵攻の直後には、名作「ラ・バヤデール」にことよせた一場面がSNSで発信され、バレエファンを震撼(しんかん)させた。東部ドネツク州を占拠したロシア当局が…
残り1378文字(全文2378文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める