週刊エコノミスト Online サンデー毎日
歌姫あいみょんと「下降する時代」 おひとりさまシニアが聴く諦念のメロディ=中森明夫
個性的な楽曲と歌唱で若者の支持を集めるあいみょんの最新曲「3636」が、「おひとりさまシニア」の作家・中森明夫氏の心をとらえた。諦めを含んで心地よいメロディと、謎に満ちた歌詞。「この時代を象徴する曲かもしれない」。そう直感した中森氏が、この驚くべき名曲の秘密と、いまと共振する歌声の深部に分け入る―。
名曲「3636」は性的暗示を唄う
夜明け前の牛丼屋で、ふいに耳に飛び込んできた。
〽嫌になったの~?
沁(し)みるような若い女性の歌声だった。店内放送だ。思わず、牛丼を食べる箸がハタと止まる。たまらない気持ちになった。
にぎやかで騒がしい近頃のJポップじゃない。ゆるやかなテンポで、マイナー調の旋律で、どこか切なく、なんだか懐かしい。
嫌になったの? 飽きてしまったの? うざったくなったの? と、歌の主人公の女の子は、たたみかけるように訴える。どうやら相手は恋人の男性で、同棲(どうせい)しているらしい。二人は倦怠(けんたい)期を迎えている。生活のディテールが細々と唄(うた)われる。
彼女の無駄な早起きや寝癖……ダマになってる髪形、苦手だったの? 朝ごはんの味……次々と挙げられるネガティブ材料。なかなかに自虐的だ。かつては毎日が楽しかった。幸せの海で浮かれすぎていた。それが……。
シビアな現実を唄った、痛々しく哀(かな)しい歌のはずなのに、なぜだろう? どこか心地いい。気分が浮き立つ。澄んだその歌声が、すっと胸に入ってきて、じわーんとあったかく広がっていった。
牛丼を食べるのを中断して、手元のスマホでググると、どうやらそれは、あいみょんの歌らしい。なあんだ、あいみょんか。なるほど。あいみょんなら知っている。大ファンというわけじゃないけれど。
ギター持った、小動物系のかわいい女の子が、けっこうハードっぽい旋律を奏で、髪をなびかせ、唄っている。テレビで見て、ヘえ、と思った。じっと見入ってしまった。しゃべると関西弁で、サバサバしていて、いかにもイマ風の女子で、感じがいい。くちびるの脇のホクロが、ちょい色っぽい。
恋人の痕跡がまったく消された歌
いつの間にか人気者になっていた、そんな気がする。今年で4年連続の紅白歌合戦の出場というから、一般的な知名度も相当に高い。なんせ、あの20歳でパーフェクトゲームを達成した千葉ロッテの佐々木朗希選手が、あいみょんの大ファンだというのだ(佐々木投手の登場曲は、あいみょんの「今夜このまま」)。
夏のオールスター戦のベンチだった。西武ライオンズの山川(どすこい!)穂高選手が、つば九郎よろしくスケッチブックに書いたメッセージをテレビカメラに見せていた。〈お前……俺の許可なしで、あいみょんと対談していたな〉。山川はピコピコハンマーで佐々木朗希の頭を叩(たた)いていた(笑)。山川選手も、あいみょんの大ファンなのだ。すごいなあ、あいみょんの人気は。
けれど、彼ら若いスポーツ選手と、もはや62歳の私とでは、同じアーティストの曲を聴いても、浮かぶ感情や、触れる琴線の音色は、ずいぶんと異なるだろう。ましてや一人暮らしの高齢者が、夜明け前の牛丼屋でひっそりと聴く、あいみょんのその歌声は……。
件(くだん)の曲は、「3636」という。えっ、いったいどういう意味だろう。しかもその数字は、まったく歌詞に出てこない。謎だ。
歌の言葉に耳を澄ますと、さらに不思議なことに気づく。嫌われた、飽きられた(と思い込んだ)恋人に、その理由を推理して次々と訴える。自分の髪の寝癖や、アレンジの効いていない料理の味付けや……と、あれほどずらずらと並べ立てたのに、さて、その肝心の恋人の姿が、まったく描かれていないのである。これは、すごい! と感嘆した。
歌の構造としては、捨てられた女の〝みれん〟を唄う、かつての艶歌と同工異曲だ。女心が主題であって、相手の像はあやふや。しかし……。たとえば、自分の新曲のプロモーションをなんと国会で(!)答弁する、今では恥知らずな老タレント議員と成り果てた演歌歌手が、半世紀も前に唄ったあの大ヒット曲。そこでは、あなたの「うそ」が「折れた煙草(たばこ)の吸いがら」で判明した。証拠物件があったのだ(餃子の王将、元社長の殺害容疑者のように!)。あなた=恋人の痕跡はたしかに存在した。けれど、あいみょんの「3636」では、まったく恋人の痕跡が消されている。証拠物件が、かけらもない。完全犯罪である。恐ろしい。
ハッと気づいた。もしかしたら、恋人なんて存在しないんじゃないか? ヒッチコックの映画『サイコ』の母親のように、恋人は既に死んでいる。実は、それは、一人暮らしの女性の妄想を告白した歌なんじゃないか? そんなことが次から次へと脳裏に浮かぶ。牛丼はすっかり冷めている……。
あいみょんの「3636」を、その後、何度も聴いている。そのうち、だんだんわかってくる。なるほど、この歌は〝ナルシズムの質〟が高いのだな。恋人の姿を抹消して、彼女の想(おも)いだけが切々と唄われる。そこに「折れた煙草の吸いがら」が出てきたら、煙草を吸わない男性に想いを寄せる女性が聴いたら、シラケてしまう。そう、この歌の世界には、あいみょんしかいない。その、たった一人のあいみょんの想いに同化できる者にとっては、なんとも心地よい。ナルシズムが満たされる。それは女性に限らない。私のような一人暮らしの還暦過ぎの男にとっても同様だ。
吉田拓郎が会いたかったあいみょん
あいみょんの歌は、懐かしい。ああ、これはJポップじゃないんだな。フォークソングだ。私が十代だった1970年代、街でよく流れていた。同棲カップルを唄った歌。南こうせつとかぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」や、あがた森魚の「赤色エレジー」や……。70年代フォークの世界、あの頃の気分がよみがえってくる。
かつてのフォークの神様が引退を表明した。最後のテレビ出演と称して、夏に放送された特番を見た。そう、吉田拓郎。1946年生まれ。76歳。「旅の宿」や、「結婚しようよ」や……あの団塊の世代のトップランナーが、今ではげっそりと痩せて、顔色がすぐれず、まるで別人のよう。愕然(がくぜん)とした。長年の闘病のせいだろうか? 彼を取り囲むアイドルや芸人たちが、空騒ぎして盛んにもてはやすが、拓郎はまったく元気がない。しかし……。
ゲストが登場すると、目の色が変わった。拓郎が会いたかった人だという。……あいみょんだ。吉田拓郎と、あいみょん。ほぼ50歳差の二人が、和気藹々(あいあい)と語り合う。あいみょんは父親の影響でギターを始め、拓郎はじめ、70年代のフォークソングに感化されたという(やっぱり!)。拓郎は「あいみょんと会って、思い出を作りたかった」ともらす。なるほど、かつてのフォークの神様が、最後に会いたかった女……それが、あいみょんなのだ。
「今日、彼女と一緒に帰ろうと思ってる」と拓郎がニヤけると、「内緒って言ったやないですか~」とあいみょん。ああ、あのギラギラとした拓郎が帰ってきた。微笑(ほほえ)ましい。いや、浅田美代子や森下愛子のかつてのファンとしては、その怨(うら)みは忘れてはいないけれど(笑)。急に元気になった吉田拓郎の姿を見て、思った。そう、あいみょんは団塊老人の回春剤である。
「3636」のサビでは、突如「宅配ボックスの5番のとこ」と唄われる。そこには二人の思い出が閑じ込められているが、開かないのだという。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や荒井由実の「返事はいらない」や、かつて(70年代)の恋人たちの心のすれ違いは、手紙によって伝えられた。小泉純一郎元総理の郵政改革から17年、遂(つい)に「宅配ボックス」がラブソングで唄われたのである。
さらに「宅配ボックスの2番のとこ」には、あなたの面影が閉じ込められていると唄う。「あなたが固く閉ざした/その心 簡単には開かないのです」とも。うーむ、5番と2番のあいだには、何があったのか? 謎は深まる。
ハタと気づいた。「3636」とは、宅配ボックスの暗証番号だったのだ! その番号がわかっているのに、固く閉ざされて、扉は簡単に開かない。えっ、なぜに? いったい、どういうことだろう?
この歌では、恋人たちが一緒に寝起きしていたり、食事したりするその生活の光景が、細部までくっきりと思い浮かぶように描かれている。だが、たった一つだけ欠落していることに気づいた。
セックスだ。
そう考えて聴き直していると、ざわざわとした。あっ、と思った。「宅配ボックス」とは、セックスのことではないか? その扉が簡単には開かないとは、つまり、セックスがうまくいっていないのだ、このカップルは。
「いつもの暗証番号で」というのは、いつもの性交スタイル……性感帯の刺激では、扉は開かない……性感が満たされない、という意味なのだ。そう頭に置いて、ぜひ、この歌を聴いてみてほしい。絶対にそうとしか思えなくなる。
「3636」とは、徹底してセックスのことを唄った歌だった。性的な単語を一つも使わないで。いや~、あいみょん、恐るべし!
私はゆるやかな下降を生きてゆく
単なるスケベおやじの妄想……と笑うだろうか? 調べたら、同棲カップルを唄った、あいみょんの「ふたりの世界」という歌があった。いきなり「いってきますのキス/おかえりなさいのハグ/おやすみなさいのキス/まだ眠たくないのセックス」と唄われて、仰天した。あいみょんは、ウブな女の子じゃない。2017年の歌。それから5年、セックスは宅配ボックスにまで洗練された(セックスとボックスはみごとに韻を踏んでいる)。
すると「3636」の数字の意味は何だろう? 3+6/3+6=オイチョカブかな? 3=惨、6/3+6=69……とひたすら淫らな性愛の因数分解に頭を悩ませていると、あいみょんのファンの若者が教えてくれた。
「あいみょんの誕生日は、3月6日ですよ!」
ちょうど半世紀前、突如、18歳の女の子が現れて、1970年代のフォークソングを抹殺した。〝四畳半フォーク〟と名ざして嘲笑し、あざやかに時代の旋律を変えてみせた。ユーミン。そう、荒井由実……後の松任谷由実である。フォークからニューミュージックへ。上昇幻想の風に乗って、歌もニッポン人の心もカラフルに浮遊していった。変動相場制によって我が国の通貨=円の価値もぐんぐんと上昇しつづけた。
2022年、円の価値は急激に下落して、1ドル=140円を超え、150円へと迫る。これは30年前の値で、いや、実質実効為替レートでは50年前、1972年の水準だという。
そういう時に還暦過ぎの男が、夜明け前の牛丼屋で一人、その歌声に耳を澄ましている。これはJポップじゃない。フォークソングだ。自分が十代だった頃、1970年代に聴いた、あの懐かしい旋律だ。時代が確実に下降してゆく。ユーミンから、あいみょんへ。その澄んだ歌声が、切なく胸に響く。
ウクライナでの戦争は続いている。コロナ禍は終わらない。大臣がまた辞めた。政権の支持率も、円の価値も、どんどん下降してゆく。おそらく私は、たった一人で死んでゆくだろう。自分の選択の結果だ。仕方がない。でも……。いったい、どこで間違ったのか? 私たちは。暗証番号はわかっているのに……扉は開かない。ただ心地いい、諦念の音色に抱かれるようにして、ゆるやかな下降を生きてゆく。あいみょん、君の歌を聴きながら。
なかもり・あきお
1960年、三重県生まれ。評論家。作家。アイドルやポップカルチャー論、時代批評を手がける。著書に、『東京トンガリキッズ』『午前32時の能年玲奈』『アナーキー・イン・ザ・JP』『青い秋』『キャッシー』など多数。新作は、寺山修司がアイドルグループをプロデュースするという小説『TRY48』