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秋篠宮会見を読み解く 必要なのは発信より対話 社会学的皇室ウォッチング!/56=成城大教授・森暢平
57歳の誕生日の記者会見で秋篠宮さまは、「皇室の情報発信というのも、正確な情報を、タイムリーに出していくということが必要」と強調した。マスメディアも、皇室の「情報発信」のあり方を論じている。だが、「発信」という言葉づかいが気になる。SNS時代で重要なのは一方的な「発信」ではなく、受け手との「対話」ではないか。
英国の例を挙げよう。今年6月の故エリザベス女王の「プラチナ・ジュビリー」(在位70年記念行事)。英王室はクマの人気キャラクター、パディントンと女王が共演する楽しい動画を制作し、ユーチューブ、ツイッターなどのSNSを使って拡散させた。宮殿に祝いの言葉を伝えに来たパディントンを女王が紅茶でもてなすという設定で、長さは2分28秒。テーブル上のエクレアをつぶしてしまったパディントンは「いざというときのために持っているんです」と帽子のなかからマーマレード・サンドイッチを取り出す。すると「私のは、ここにあるのよ」と女王がバッグから別のサンドイッチを取り出してみせるというコメディーだ。
広報とはパブリック・リレーションズ(public relations)、すなわち、人々との「関係」、あるいは「交渉」のことだ。英王室は人々からの反応を想定して動画を制作し、そのコミュニケーションを楽しんでいる。
かつてのコミュニケーション理論では、送り手からのメッセージは一方向で受け手に伝わると想定されていた。実際に新聞・テレビなどの旧メディアの送り手たちはそうした前提に立っていたふしがある。しかし、現代の理論は、受け手はさまざまなレベルでメッセージを多様に解釈し、受容し、反応すると考える。企業が、SNSを駆使した広報を行うときでも、ひとりよがりの発信は効果的ではなく、消費者とのコミュニケーションを楽しむことの重要性が説かれる。
記者会見で秋篠宮さまは、海外王室がウェブサイトとSNSを組み合わせた広報を行っている実情に触れた。ウェブサイトはすべての情報が、SNSは短い情報が書かれるという特徴を挙げたうえで、今後の宮内庁(皇室)の発信は、SNSで情報に触れた人がさらに詳しく知りたいときにウェブサイトを見るような構図になるのではと説明した。
ネットのプロを宮内庁に
少し違うと感じた。ウェブサイトは、最新情報をアップデートしながら、一方で検索に引っ掛かりやすい情報を貯蔵する。ここで情報の流通が一方向になりがちなのは仕方がない。しかし、SNSは受け手が「いいね」を押したり、引用ツイートする双方向のツールである。相互コミュニケーションである。
言っては悪いが、日々SNSを使っていないであろう秋篠宮さまも、宮内庁幹部も、ネット・コミュニケーションにはあまり詳しくないと見受けた。たしかに宮内庁は、来年度予算のなかで、SNSを使った情報発信などを検討するために参事官1人の増員を要求している。宮内庁は英国、デンマーク王室の広報の事例も見てはいる。こうしたことから、宮内庁や皇族によるSNS「発信」が来年度にも始まるのではと想像する向きもあるが、少し違う。今後のことは何も決まっていない。広報強化のSNS検討という名目なら要求が通りやすいのを見込んで、まず役所の人員を増員しようとしたのが実情に近い。
新設の宮内庁参事官はネット・コミュニケーションのプロを民間からスカウトするぐらいの思い切ったことをすべきだと私は考える。英国と同じとは言わないものの、皇族の人柄が分かるようなコンテンツを使って、人々とのコミュニケーションを楽しむぐらいの余裕(遊び)が今の皇室には必要ではないだろうか。
粘り強く伝え続ける
秋篠宮さまの会見で、もうひとつ気になったのは、誤った情報に対する「反論」についてである。秋篠宮さまは「あまりにもひどい事実誤認だと思われることについて『それは違うよ』という反論をするということは、あり得る」と言う。ただ、ひとつの事実に反論すると、ほかに書かれていることは全部正しいことになってしまうと秋篠宮さまは危惧する。秋篠宮さまの発想には、ゼロか100か、白か黒かという発想があるように感じる。
たとえば、悠仁(ひさひと)さまが高校の現代国語で赤点を取ったなどという荒唐無稽(むけい)の記事が女性誌に書かれている。これに対し、宮内庁が事実無根と出版社に抗議したと仮定しよう。そうした抗議は一定の効果はある。一方で、一部の人たちは、宮内庁が報道に圧力をかけ世論を誘導したと臆測し、赤点説をなお真実だと思い込み続けるだろう。小室圭さんが母親の「金銭トラブル」に対して文書で説明したときもそうだったが、一方的な説明はいくら詳しくても、逆の効果を持つことがある。
宮内庁が「正しい」事実を、宮内庁に常駐する記者たちに「正しく」伝えてもらったからといって、人々がそれを「正しく」受容するわけではない。否定と抗議は、デマの抑止にはなるが、即効性をもって誤った情報が根絶できるわけでもない。
では、皇室は、悪意あるデマに何をなすべきだろうか。それに対する私の答えは、粘り強く、繰り返し自分たちの姿や考えを伝え続ける地道な方法を取るしかないということだ。事実無根の情報を信じる人が最初100人いたとしても、50人になり、25人になり、13人になり、6人になり……と減らしていくことは可能なはずだ。受け手側から反論されることがあるかもしれないが、さらに説得を試みる。その繰り返しこそが対話(コミュニケーション)である。必要なことは、反論ではなく、説得的コミュニケーションではないか。
秋篠宮さまには、科学者として本質主義的発想があるように見えてしまう。反論すれば誤認を正せるという前提のもとに、すべての誤認に反論はできないので、反論すべき誤認の基準が必要だということにこだわりすぎている。宮内庁も、秋篠宮さまも、20世紀的な「情報発信」という発想にとらわれているが、その前提がやや時代遅れになっていないか。ネット時代にふさわしい若い柔軟性が今の皇室には必要だ。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など