教養・歴史 ロシアの闘う現代アーティスト
冷戦時代も国民が熱狂 生誕100年のロシア・ジャズ 鈴木正美
有料記事
2022年に生誕100年を迎えたロシア・ジャズ。アメリカ発祥でありながら、戦争中も冷戦時代も「国民音楽」として熱狂的に愛され続けてきた。
>>特集「ロシアの闘う現代アーティスト」はこちら
ロシアで革命が起こった1917年、アメリカではオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる世界初のジャズ・レコードが録音された。その5年後の22年10月1日、ソ連最初のエキセントリック・オーケストラとされるワレンチン・パルナフが指揮したジャズ・バンドが、モスクワの演劇芸術大学での公演で衝撃的なデビューをはたす。ロシアにおけるジャズの始まりである。
そして今年2022年はロシア・ジャズ生誕100年目の記念すべき年となり、コンサートやイベントが盛りだくさんである。ロシア・ジャズ100年の歩みをたどるドキュメンタリー映画も制作された。ロシアではウクライナの戦争に反対しているミュージシャンも多いが、ロックと違って歌詞がないジャズ音楽は、反体制とみなされることがない。ロシア各都市のジャズ・クラブでは毎晩のようにライブが行われている。
日常に欠かせない娯楽
ここでロシア・ジャズの歴史をざっと概観してみよう。
ロシア・ジャズの起源は「エストラーダ」と呼ばれるロシア版の寄席である。漫談、アクロバット、軽演劇、人形劇、パントマイム、歌や踊りなど、面白い小演目を集めたバラエティーショーだ。ソ連時代はジャズやポップスも演目のひとつだった。エストラーダはソ連の人々の日常に欠かせない大衆娯楽だった。エストラーダの一ジャンルであるということ、そして黒人というプロレタリアートが生んだ音楽ということで、ジャズは弾圧されることもなく、1920年代後半から47年まで盛んに演奏された。
スターリン体制下でも、アレクサンドル・ツファスマンのようにダンスにマッチするノリのいいジャズは人気が高かった。各共和国に国立のジャズ・オーケストラも次々と創られていった。中でもアレクサンドル・ワルラーモフが指揮した全ソ国立ジャズ・オーケストラとエディ・ロズネルの国立ベロルシア・ジャズ・オーケストラのレベルは高く、人気を博した。ロズネルのオーケストラは各プレーヤーの即興がどれもすばらしく、ヨーロッパ的な香りがする。
反対に、よりロシア的なジャズを追求したのがレオニード・ウチョーソフ(1895~1982年)だ。ウチョーソフのステージはテア・ジャズ(演劇的ジャズ、ジャズ・シアター・オーケストラ)と呼ばれた。さまざまなジャンルの音楽スタイル、種々雑多な演劇的要素を取り込み、ひとつのステージ上で展開するテア・ジャズはソビエト・ジャズ独特の…
残り1740文字(全文2840文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める