教養・歴史 ロシアの闘う現代アーティスト
「バレエは世界の共通語」元ボリショイ・バレエ団 岩田守弘さん
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モスクワ・ボリショイ・バレエ団の第1舞踊手として名を馳(は)せた岩田守弘さん(52)。ソ連崩壊からウクライナ侵攻までの激流にもまれながら、「バレエこそが世界の共通語」との信念は揺るがない。今の率直な思いを聞いた。(聞き手=斉藤希史子・元毎日新聞記者/構成=桑子かつ代・編集部)
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誇り高き芸術の国としてバレエに威信をかけてきたロシアでは、バレエ団が外国人のダンサーを受け入れることはかつてほとんどなかった。その不可能を可能にした岩田さんを貫く背骨は、「ロシア・バレエへの憧憬(しょうけい)」だ。
「ミハイル・バリシニコフ、ウラジーミル・ワシーリエフ……。物心ついて以来、引かれるのはなぜかロシアのスターダンサーばかりでした」。舞踊一家に生まれた少年は、なぜ欧州や米国のバレエ団ではなくてロシアのバレエ団に魅了されたのか。「踊りの向こうに“心”が見えたからだと、今なら分かります。ロシアには芝居を真実に近づける土壌がありました」
憧れていたソ連へのバレエ留学を実現させ、ボリショイの付属学校に受け入れられたのは1990年。6年後には25歳で正団員の座を勝ち取った。「とにかくバレエが上手になりたい、それだけでした。練習を頑張ったから、国籍を問わずに受け入れてもらえたのだと思います」。全身をしならせる驚異の跳躍、精緻なコマのごとき回転。「白鳥の湖」でのはつらつたる道化役は、語り草となっている。
運に助けられたのも事実だ。91年のソ連崩壊でロシアの法律が変わり、外国人にも門戸が開かれて働くことができるようになったからだ。経済面で厳しい状況が続くなか、多感な青年はどんな思いで体制の転換に立ち会ったのか。
「冷戦中は物もなければ電話も通じない。不便な生活でしたが、バレエの豊かさに満たされていた。ソ連崩壊後も厳しかったですよ。しかし、ロシアでは芸術は人間が生きていくために必要なものとされ、職業としての生活が保証されています。これがバレエ後進国の日本と大きく違う点です」
国が変わり「技術偏重」へ
ただ、その後のロシア国内の社会情勢の変化が、芸術的な伝統に与えてきた影響は否定できない。「最近のロシアは国の体制が変わり、生活が便利にはなったものの、大切な何かを置き去りにしてしまった気もします」と岩田さん。「分かりやすい例を挙げるなら……」としばし黙考の後、こ…
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週刊エコノミスト
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