私はバブル処理世代だが、成長を感じることもできた 東和浩
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私が入社したのは1982年。社会人になってバブルの絶頂期に向かい、まだその余韻が残っていた92年ごろまでの10年間は、インフレ(物価上昇)や金利上昇、好景気を経験した。しかし、昨年までの銀行員生活40年を振り返ると、残りの30年のうち20年はバブルの後始末に明け暮れた。つまり、私の銀行員生活の半分は「バブル処理」だった。だから強いて言えば、「私はバブル処理世代」だ。
>>特集「バブル世代vs.デフレ世代」はこちら
バブル期の象徴的なエピソードとしてよく語られる1万円札を振って、タクシーを止めることもした。だが、それは本当に仕事が忙しくて、帰宅するのが午前1時、2時になったからだ。帰る方向が同じ仲間と苦労して捕まえたタクシーに乗ると、当時、スキーの深夜バスの渋滞に遭遇して、自宅に着くころには鳥のさえずりが聞こえるなんてこともあった。「24時間働けますか」という栄養ドリンクのテレビCMを地で行っていたような生活だった。
それだけ銀行員として、やりがいがある時期だったとも言える。大阪の支店営業を皮切りに、メキシコやロンドンでの駐在や研修、その後、証券部門に配属された。当時の銀行を取り巻く環境は、国際化と金融の自由化の真っ最中。日本企業が新人教育や人材育成に注力した時期だった。経済が拡大し、自分自身も成長を感じ取れた時代だったと思う。それが一転、バブル崩壊後、まさかデフレ不況がこれほど長期化するとは想像もできなかった。
金利上昇を知らない銀行員
足元では日本でも約40年ぶりのインフレが起きている。約2年前、日本にもインフレの波が押し寄せてくるのではないかと、強い確信があったわけではないが、ひそかに予感した。それは80年代のバブルを経験していたことと無縁ではないだろう。逆に、インフレを知らない世代には、ピンと来ない感覚かもしれない。
そんな世代ギャップを強く感じたのは、2007年に日銀…
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週刊エコノミスト
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