インタビュー「宇沢弘文の経済分析が今こそ必要とされている」宮川努・学習院大学教授
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健康で文化的な最低限の生活をすべての人が享受できるための財やサービスが提供できる制度──宇沢弘文氏が唱えたこの概念を今こそ、実行に移す時だ。(聞き手=佐々木実・ジャーナリスト)
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──「社会的共通資本」との出会いは?
■東大経済学部では宇沢弘文ゼミ(1978年卒)だったので、学生時代から社会的共通資本の概念は知っていた。実は、90年代に日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の設備投資研究所で再びお世話になった際、宇沢先生から社会的共通資本を一緒に研究しようと誘われたのにお断りしてしまった。「経済的制度のみでなく、歴史的、文化的な諸制度にも依存する」という考え方が、当時の私にはよく理解できなかったからだ。
その後、不良債権問題から日本経済が長期停滞に陥るなか、私自身は日本企業の生産性の問題、さらに無形資産の研究に携わってきた。コロナ禍を契機に社会的共通資本と真剣に向き合うようになった際、最初にこだわったのが「社会的共通資本はなぜ、『資本』なのか?」だった。宇沢先生は社会的共通資本を(1)自然、(2)社会的インフラ、(3)教育、医療、金融などの制度に3分類し、「自然資本」「社会資本」「制度資本」と捉えた。
先鋭的取り組み
── なぜ「資本」と定義する必要があったのか。
■そこが重要だ。第二次世界大戦後、一国の経済を把握する指標としてGDP(国内総生産)が定着した。ただ90年代以降、とくに環境問題を考察する際にキャピタル・アプローチが試みられるようになった。GDPのようなフローの指標ではなく、フローを生み出す源であるストック、つまり資本に着目する考え方だ。かつて資本といえば、建物や機械などの有形資産だった。90年代後半にIT(情報通信)革命で米国経済が再生すると、ソフトウエアや人材などの無形資産が注目されるようになった。現在では日本でも4割近くが、無形資産への投資だ。
キャピタル・アプローチは、特徴の異なるさまざまな資本の集まりを生産の基盤と捉え、超長期的な観点から、経済全体の姿を描き直す試みといえる。根底には、どのような資本を蓄積すれば「ウェルビーイング」、あるいは経済的福祉を高めることができるのかという関心がある。
── 社会的共通資本論は確かにキャピタル・アプローチだが、宇沢先生はすでに70年代に社会的共通資本の理論的な基礎を構築していた。
■今振り返ると、宇沢先生の社会的共通資本論は驚くべき先鋭的取り組みだった。しかも、現在のキャピタル・アプローチと比べても、理論内容が豊かだ。例えば、通常の財(モノ)の消費と社会的共通資本の消費を分けて考察している。なぜかといえば、社会的共通資本の場合、個人の消費は全体の消費量の影響を受け、社会的共通資本の供給量にも影響を受けるからだ。つまり、社会的共通資本が提供するサービスが、通常の財やサ…
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週刊エコノミスト
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