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教養・歴史 これまでの/これからの100年

石炭→石油→原子力→再エネ 移り変わるエネルギーの主役 橘川武郎

国内最大の炭鉱だった三井三池炭鉱(福岡県)の主力坑「宮原坑」。1997年に閉山し、宮原坑跡などが2015年、世界遺産に登録された
国内最大の炭鉱だった三井三池炭鉱(福岡県)の主力坑「宮原坑」。1997年に閉山し、宮原坑跡などが2015年、世界遺産に登録された

 過去100年、石炭から石油、原子力を経て、これからの100年、主役は再生可能エネルギーに変わっていくだろう。

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『週刊エコノミスト』が創刊されたのは、1923(大正12)年4月1日。関東大震災が起きる5カ月前のことであった。当時の日本は、都市化と電化の真っ最中。産業革命を終えて、第二次世界大戦後まで長く続く経済成長の時代を歩み始めたところであった。

 世界で産業革命を可能にしたのは、石炭である。石炭は、今でこそ二酸化炭素を大量に排出する「悪者」扱いされているが、人類を豊かにしたのは石炭であった。もし、石炭利用が遅れたら、樹木がなぎ倒されて地球上の陸地の多くは「ハゲ山」になっていただろう。石炭が使われる以前は、人類が頼る主要なエネルギー源は、たきぎなどの木材だったからである。

 世界と日本の電力とエネルギーの歴史を振り返ると、産業革命が18世紀の中ごろ、イギリスで始まった。開始の合図を告げたのはワットが開発した蒸気機関であったが、それは石炭を使って作られる蒸気を動力としていた。

電気は19世紀後半から

 19世紀後半になると2次エネルギーである電気も利用されるようになった。日本で初めて電灯(アーク灯)がともったのは1878(明治11)年のことであり、87年には最初の一般供給用発電所が東京・茅場町で運転を開始した。ニューヨークで世界最初の一般供給用発電所が電力供給を開始してからわずか5年後のことであった。これらの発電所は、石炭を燃料とする火力発電所であった。

 日本で最初の本格的な水力発電所は、1891年に京都・蹴上(けあげ)で運転を開始した。その後、大規模水力開発と遠距離高圧送電の進展によって、日本では1910年代初頭に、火主水従から水主火従への電源構成の転換が生じた。水主火従の時代は、再び火主水従に転じる1960年代の初頭まで、約半世紀続いた。

 電気事業の成立とほぼ時を同じくして、ガス事業もスタートを切った。日本で最初のガス灯がともったのは、電灯点灯より6年早い1872年のことだった。

 石油産業の創始は、世界的には、電気事業より早かった。米国でドレークが近代的な石油採掘に成功したのが1859年。ガソリンエンジンを搭載した自動車が登場したのは1886年のことだった。それから遅れること21年、1907年には日本でも国産初のガソリン自動車が完成した。

東ガス、東電がLNG

 19世紀は「石炭の世紀」であったが、20世紀は「石油の世紀」となった。フランスの首相クレマンソーが「石油の一滴は血の一滴」と言ったのは、第一次世界大戦の時。第二次大戦後になると、石油は石炭に代わって、エネルギーの主役となっていった。その勢いは、70年代に2度にわたって石油危機が生じるまで続いた。

 原油に随伴して産出されることが多い天然ガスの利用も進んだ。天然ガスは長い間、パイプラインで陸上輸送されるだけであったが、日本が新機軸を打ち出し、マイナス162度で冷凍液化し、体積を600分の1にして専用タンカーで海上での長距離大量輸送を実現した。69(昭和44)年に東京ガスと東京電力が協力して、アラスカから横浜へLNG(液化天然ガス)を輸入したのが、それである。

 50年代になると、原子力の平和利用も始まった。日本最初の商業用原子力発電所が運転を開始したのは66年のことである。

 97(平成9)年に京都議定書が締結されたことに象徴されるように、20世紀末になると、地球温暖化問題が深刻化した。2015年にはパリ協定が締結され、世界各国が、21世紀半ばごろまでに、温室効果ガスの排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルをめざすようになった。そのプロセスで新しい主役の役割をはたしつつあるのは、太陽光・熱、風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生可能エネルギーである。

 このように、産業革命以来今日まで、エネルギーの主役は次々と入れ替わってきたのである。

世界経済とも密接に関連

 エネルギーと世界経済は密接に関連している。それを端的に示すのは、原油価格の動向である。

 図は、原油価格の推移を100年にわたって示したものである。この図から三つの点を読み取ることができる。

 第一は、1970年代に石油危機が起きるまで、原油価格が低廉で安定していたことである。このことは、第二次世界大戦後に石油が石炭に代わってエネルギーの主役となる原因となるとともに、西側先進諸国が1950年代半ばから70年代初頭にかけて空前絶後の高度経済成長を実現する原動力ともなった。

 第二は、原油価格が1970年代に高騰したことである。この変化は、石油危機によってもたらされた。石油危機は、西側諸国の高度経済成長を終焉(しゅうえん)させるとともに、石油に代わるエネルギーの開発を促進する契機ともなった。

 第三は、80年代から90年代半ばまで安定していた原油価格が、90年代末から急騰するとともに、激しく変動するようになったことである。

 現在につながるこの時期に原油価格の高騰をけん引しているのは、中国をはじめとする新興国での石油需要の増加である。一方で原油価格は、2008年のリーマン・ショックや15年の中国経済の減速・米国の利上げ、20年の新型コロナウイルスの感染拡大などで、急落することもあった。原油価格の激しい変動は、世界経済を不安定化させる大きな要因となっている。

6割あった日本の自給率

 日本経済にかかわるエネルギー関連の最も重要な指標としては、自給率を挙げるべきであろう。

 表は、1960年以降の日本の1次エネルギー供給構成とエネルギー自給率の推移を見たものである。この表では、IEA(国際エネルギー機関)の見解に基づき、原子力を国産エネルギーとみなしている。火力発電所で使う化石燃料は輸入したのち1回で消費してしまうのに対して、原子力発電所で使うウランは輸入後長期にわたって利用するからである。このため、国際的には原子力は、「準国産エネルギー」として取り扱われている。

 まず驚くのは、196…

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