漢字仮名交じり文までの類いまれな日本“読み書き”史 今谷明
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前近代において、日本人一般の識字率がきわめて高かったことは、キリシタン宣教師はじめ訪日外国人のほとんどが指摘していて、西欧では驚きをもって受け止められた。
約1000年前に女房文学が全盛を迎えるという、世界に類を見ない文化現象が歴史に刻まれているのだから、西欧の人々を驚かせたのも無理はない。しかし、江戸時代以前に限ると日本人の識字率も浮き沈みが激しく、一貫したものではなかった。
例えば、承久の乱(1221年)で京都に迫った幕府軍に後鳥羽院が勅使を派遣したが、その院宣(上皇の命令)を読める武士が数万人に一人しかいなかったという史実がある。武士はほとんどが識字能力を欠いていたのである。
八鍬(やくわ)友広著『読み書きの日本史』(岩波新書、1166円)は、主として前近代の日本史において、教育史家としての立場から、読み書きの変遷を論じた興味深い啓蒙(けいもう)書であって、評者の記憶からいえば類書がほとんどなかったジャンルである。
古墳時代は、日本人は文字を持たなかったから、稲荷山(いなりやま)古墳出土鉄剣銘のように、銘文は漢文形式ですべて漢字で表され、ただ人名など固有名詞は後世のいわゆる万葉仮名で表現された。その後、仏教が伝来すると、奈良や叡山(えいざん)の僧侶によって漢文の訓読みが工夫された。
最初は漢字の周辺に符号を打つ「ヲコト点」が使用され、大学寮(官僚養成機関)の博士たちも倣ったが、やがて片仮名が発明され、漢字片仮名交じり文が生じた。一方、女性たちは漢字の草書化から平仮名を発明し、漢字仮名交じり文という日本語の表現法が成立したのである。
ところで、漢文訓読の成立だけでは、庶民に日本語として普及しない。そこで、平安末期ごろには、手紙を基にした「往来」と呼ばれる入門書が出され、教科書の役割を果たすようになった。地方では識字者は寺庵(じあん)に多かったから、人々は寺庵で僧侶から…
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週刊エコノミスト
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