国際・政治

ゴッホにロゼッタ・ストーン 広がる返還・損賠請求運動 福田直子

ゴッホの「ひまわり」は現在、損保ジャパン本社ビル前に2020年に開館したSOMPO美術館にある 筆者撮影
ゴッホの「ひまわり」は現在、損保ジャパン本社ビル前に2020年に開館したSOMPO美術館にある 筆者撮影

 ナショナリズムの高まりを背景に、略奪美術返還の動きはナチスから植民地時代のものにまで広がりを見せている。

ナチスから大英帝国、ナポレオンまで

 2022年12月13日、米イリノイ州の裁判所にSOMPOホールディングス(HD)が所有するゴッホの絵画「ひまわり」が、「ナチス・ドイツによる迫害で強制的に売却させられた」として、元の所有者の遺族が損害賠償を求めて提訴した。

 かつてSOMPOHDの前身の一社であった旧安田火災海上保険が1987年、社の創立100周年ということで購入したゴッホの「ひまわり」。ロンドンの競売で破格の約58億円(当時の為替レートで換算)で落札された。日本のバブル時代の始まりを象徴するような「ひまわり」購入であり、当時、絵画市場で最高落札額でもあった。裁判所に提出された訴状は100ページ近くあり、遺族は返還あるいは7億5000万ドル(約1000億円)の損害賠償を求めている。破格の賠償請求額は、SOMPOが所有していた30年以上の経済利益が考慮されているためであるという。

 ニューヨークとベルリンを拠点とする3人の原告は、元銀行家でパウル・フォン・メンデルスゾーン(1875〜1935年)の子孫たちだ。メンデルスゾーン一族といえば、作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンが有名だ。ユダヤからプロテスタントに改宗したメンデルスゾーン家は18世紀末に「メンデルスゾーン銀行」を設立し、ナチスが政権を掌握するまではドイツで有数の銀行の一つであった。

 原告の一人、ユリウス・ショップス氏はドイツで著名なユダヤ研究者である。ショップス氏の母方の祖父パウルはまだ評価が十分に定まっていなかったピカソ、ルノワール、モネやマネなどをはじめとする現代美術の作品を購入しはじめ、ベルリン郊外にあったボルニッケ城には一時期、ゴッホの作品が9点飾られていた。

「ひまわり」(作品識別番号F457)はゴッホがアルルで描いたひまわりの7点の画の一つで、1888年に描いた「15本のひまわり(同F454)」(現在、ロンドンのナショナルギャラリー所蔵)の自身によるコピーである。

 パウルが「ひまわり」をパリの画廊から購入したのは1910年だが、今回の提訴で争点となるのは、「1934年に売却」された点である。33年1月にナチス党が政権を掌握してから、ユダヤ人の排斥が強まるとともにその資産が没収され、「ドイツ帝国の財産」に転換するという「アーリア化」が進められる一方で、美術品略奪が組織的に始まった。

 メンデルスゾーン家も事業を営むことを禁止され、収入の道が絶たれる中、「ひまわり」はまだ「安全地帯」とされていたオランダ・ハーグの画廊に売却され、その後、パリの著名なパウル・ローゼンベール画廊に展示されていた。そこへイギリスに在住のアメリカの富豪、エディット・ビーティーが訪れ、購入。ビーティー夫妻死去後、遺族がロンドンの競売に出し、旧安田火災が落札した。ざっとこれが「ひまわり」の「来歴」だ。

 原告の主張は、「ナチスによる没収」ではなかったものの、「強制、あるいは脅迫されて売却」した「来歴」があるとして、旧安田火災は「出所を無視して購入した」とする。この件についてSOMPOは編集部の取材に対し、「クリスティーズ社のオークションで売り主も確認して購入し、35年にわたって東京で一般展示し続けている絵画であり、所有権の正当性には疑いの余地はない」としたうえで「そもそも、原告が所有権について法的に争える立場にない可能性や、イリノイ州の連邦地裁において裁判することの適正性に疑義があることなど、大きな問題があり、4月27日に提出した反論内容は、訴えの却下の申し立てになっている」と回答している。

冷戦終結で論議活発化

 一般には聞きなれない「来歴」(プロブナンス)という言葉は、この四半世紀ほど、美術品の出所を探る上で重要なカギとなっている。

「来歴」とは、つまり画家のアトリエから離れてどのような所有者を経ていったかをたどる調査で、90年代まではほとんど問題にされなかった。そして「ナチスによる美術品略奪」が社会問題…

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週刊エコノミスト

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