①情報があふれ「メディア」に 板谷敏彦
有料記事
「メディア」という語彙(ごい)が世に初出したのは今から100年前の1923年のことで、これは偶然にも『週刊エコノミスト』が創刊された年でもあった。
それまでの「新聞・雑誌」に代わり「メディア」は、報道そのものより、広告媒体を含む少し広範な領域を意味した。折からラジオや映画が普及し始め、街には広告塔や看板があふれた。情報の伝達手段は文字を読むだけではなく、音や映像などを伴うようになったのだろう。
よく知られているように西洋史の中で、活字と印刷機(システム)の発明は15世紀中ごろのドイツ人ヨハネス・グーテンベルクによるものである。グーテンベルクの印刷技術によってやがて聖書が大量に印刷され、カトリック聖職者の独占物だった聖書が信者に開放された。それまでは信者は教会へ行き、聖職者が聖書を読むのを聞いたが、プロテスタントでは信者が自ら聖書を読んで信仰を深めていく。印刷機の発明がマルティン・ルターの宗教改革を引き起こしたともいわれるゆえんである。
欧州大陸を逃れてアメリカ大陸を目指した清教徒たちが上陸して最初にしたことは、教会と一緒に学校を作ることであった。清教徒にとって聖書を読むために文字を覚えることは必須だったからである。聖書が文字の読める人間を増やした。産業革命期にプロテスタントの国々の識字率はおしなべて高かった。
18世紀末のフランス革命以降、ヨーロッパ諸国において国民国家意識が目覚め、国民皆兵による徴兵制度が普及し始めると、諸国は銃や近代兵器を扱うために文字が読める兵隊を育成しなければならなかった。
そこで、各国とも徴兵制度の延長で教育制度に力を入れるようになった。この時代に世界各国で初等教育の義務化や無償化などが広がったのである。
こうして19世紀末までには文字を通して新聞や雑誌が発する情報を享受できる人口が一気に増えたのだ。
大量印刷・配達が可能に
当初の新聞は少部数を印刷し、徒歩圏のエリアの中で配達された。日本の江戸時代の瓦版と同じである。『ウォール・ストリート・ジャーナル』はマンハッタンの南端のウォール街だけで配達された。
当時産業革命の最先端を行く英国で1866年にロール紙を使う高速輪転機が発明され、これに新聞紙の自動折り畳み装置が付加されたのが1885年、同時にこの頃パルプを使用した製紙機械が発明され、紙の価格が劇的に低下して安価な大量新聞印刷が可能になった。
20世紀初頭にかけて、徴兵制によって文字が読める国民が増加、新聞の大量印刷の技術が整い、配達可能なエリアを拡大する鉄道網が発達した。大量印刷大量配達の大新聞社登場の要件が整ったのである。英国で『デイリー・メール』社の発行部数が100万部を超えたのが20世紀への変わり目。日本では少し遅れてちょうど100年前あたりにこうした画期が訪れた。
当時の日本は大阪の『大阪朝日新聞』と『大阪毎日新聞』の2大新聞社体制。大阪朝日は東京の『めざまし新聞』の買収で東京朝日を設立して、大阪毎日は『東京日日新聞』を買収して東西本社体制を確立。かくして大新聞社は全国に読者を増やして「マス=メディア」となり、世論を動かす力を獲得する。読者層の拡大に伴って新聞記事が文語体から口語体になるのは、第一次世界大戦終戦の年である1918年の大阪毎日新聞からである。
「メディア」という語彙の初出とほぼ同じ頃新聞の販売部数増加とともに数多くの雑誌が出版された。
国家が国民を徴兵し、命がけの奉公を強いるのであれば、国民はそれに見合った権利、たとえば選挙権を主張し始める。
「軍部を支持」した新聞
日本では日露戦争後、国民が国家のあ…
残り1119文字(全文2619文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める