教養・歴史『週刊エコノミスト』が生まれた時代

②企業の勃興と産業の近代化 板谷敏彦

 今から100年前の1923年は関東大震災の年である。それまでの四半世紀、日本は日露戦争(1904~05年)の勝利により世界列強の一角に加わり、第一次世界大戦(14~18年)でも戦勝国の側に立って世界五大国の仲間入りを果たすなど、経済成長とともに国際社会における地位向上を遂げた時代であった。

 そしてまた経済成長と同時に「経済の鏡」である株式市場も大きな変化を遂げた。本稿では新しく開発された株価指数「兜日本株価指数」を使ってその概要を振り返ってみたい。

 日本は日露戦争中に巨額の外貨建て債券を発行したが、終戦のポーツマス条約では賠償金を得ることができなかった。

 一方で、関東州の租借権や満鉄の経営権を獲得し守るべき領土が増えて、満州におけるロシアからの軍事上の脅威は消えなかった。

 そのため戦後は国家予算の約30%を軍事費、約30%を国債費が占め財政的に苦しい時期が続き日本経済は停滞することとなった。

 ところが、それから約10年後に第一次世界大戦が勃発すると状況は一変することになる。

 開戦当初は貿易の縮小により、世界経済の低迷が予想されたが、いざ戦争が始まってみると戦場から離れた米国や日本の輸出は急増することになった。

 英仏など参戦した西側諸国は軍需品に生産を傾斜し輸出向けの民生品の生産が減少した。またドイツは英国海軍による海上封鎖によって海外との貿易の道を絶たれた。

第一次大戦後の株バブル

 これにより欧州の参戦国が輸出していた市場で民生品が不足し、米国や日本はこれらの国々向けに一大輸出ブームを迎えることになったのである。

 また、当時の日本の主力輸出産品である絹は、折からの米国の戦争景気により輸出が拡大した。

 さらに、参戦国は民間の船団を戦時徴発したために世界の商船は減少し、船賃の高騰で海運と造船業は戦時特需を享受した。

 一方で、英独仏から日本への輸出途絶は、強制代替需要として鉄鋼、機械、化学製品などの重化学工業部門で国産化を促すことになった。好景気下、日本で多くの企業が勃興したのである。

 ここで当時の株式市場をチャートで見てみよう。使用する株価指数は、明治大学株価指数研究所と投資教育会社のI-Oウェルス・アドバイザーズ(東京・渋谷)が共同開発した兜日本株価指数である(図1)。戦前までさかのぼれる日本初の株価指数で6年かけて過去の株価データを集めて22年8月に発表された。

 増資などの修正が施された単純な株価指数と、これに配当権利落ち修正がなされたトータル・リターン株価指数が備えられ、東京株式取引所開設以来、現在までのすべての期間がカバーされている。

 第一次世界大戦が始まった14年当初は気迷い気分もあったが、株価は戦争中に上昇していく。

 16年11月に最初のピークを迎えるが、これは輸出によってたまった正貨(外貨)を背景に、日本の銀行団が、英仏など連合国側参戦国が募集した英貨公債を大量に購入した影響である。

 二つ目のピークは米国が17年4月に参戦を決めた後の8月である。株式市場は終戦を読んだ。

 その後、株価は終戦を受けて低迷するが、19年になるとにわかに急騰する。

 これは、当時の日本初の本格政党内閣である原敬内閣が、大方の予想を裏切って積極的な財政を行ったからである。当時の大蔵大臣高橋是清は19年4月の関西銀行大会でこう述べた。

「戦争でヨーロッパ諸国が痛手を被っている今日だ、日本がこの機会に積極的に、世界に経済進出をこころみるのは当然じゃないか」

 兜町はにわかに活気づいた。銀行が株式投資に融資、第一次世界大戦後の日本独自の株式バブルが発生して、そして約1年で崩…

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