教養・歴史書評

正統性とは何か? 南北朝めぐる明治末の事件を読む 今谷明

 1910年の大逆事件と前後して起こった“南北朝正閏(せいじゅん)問題”は、明治末期の学界だけでなく、広く教育界、メディア、政界を巻き込んだ大事件であった。その結果、今に続く皇室の先祖は正統ではなく、滅びてしまった傍系の皇統が正統とされる、世界の王権史上例をみない奇妙な判定が政治的に決着したのである。

 以降教科書では「吉野朝」なる呼称が強制されたが、終戦後は一層奇矯な事件が起こった。「正統であった」南朝の子孫を名乗る人物が現れ、“熊沢天皇”としてセンセーショナルな話題となったのは記憶に新しい。

 千葉功著『南北朝正閏問題 歴史をめぐる明治末の政争』(筑摩選書、1760円)は、近現代史の専門家で桂太郎の伝記も研究する著者によるこの事件に関する包括的な研究書で、私のような中世史を専門とする者が読んでも興味深い啓蒙(けいもう)書である。

 著者自身、あとがきにおいて「関係の史料や論文を読んでみると、おもしろさにたちまち引き込まれた」と述懐しているように、本書で展開される諸問題は、ただ政治家のみならず、鷗外、漱石、露伴、晶子らの文学者もオールキャストの状況で、著者は「信仰告白」と形容している。主人公は当時の“教科用図書調査委員”の喜田(きた)貞吉であるが、事件を大きくしたのは、この事件の火付け役たる峰間(みねま)信吉(茨城県師範学校・東京高等師範学校出身)らに対する喜田の蔑視であったらしい。

 こうして、東大を中心とする官学アカデミズムの歴史学(実証主義)と、水戸学を奉ずる師範系の歴史学(名分論=身分関係を絶対視)の対立の構図が形成され、後者が採択される形で政治決着が図られたのである。

 最終…

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