インドはBRICS内の対中けん制役 「対立より連帯を」とモディ首相 菅谷弘
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インドは米欧と協調して中国の「一帯一路」に対抗する欧州までの物流ルート構想を発表するなど、BRICSの中でも独自の存在感を示している。
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インドの首都ニューデリーで9月9〜10日に開催された主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)では、議長国インドの国名が「バーラト」と表記され、その真意について思惑が広がった。バーラトとはサンスクリット語でインドのことを指す。一方、インドの由来は、インダス川に由来するサンスクリットの「Sindhu」(シンディ)から派生してインドになった。インド統治時代の英国は「インド」の名称で治めていた。インド憲法では「国名を『インド』とし、それは『バーラト』を指す」と明記している。
G20という外交のひのき舞台でバーラトと表記した真意は明らかにされておらず、想像するほかはない。一つ考えられるのは、モディ首相率いる与党インド人民党(BJP)に対抗するため、今年7月に「インド国家発展包括連合」(INDIA)という野党連合が成立、野党がINDIAを多用するので、それに対抗する狙いでバーラトを使い始めたということ。いわばインド国内の政治的な綱引きであり、外国人による臆測は、余計なお世話だろう。
他方で、英国の植民地時代からの決別という意味を込めた可能性もあるかもしれない。モディ首相がたびたび語っていることだが、インドは英国の植民地になる以前の14世紀〜18世紀半ばは世界に冠たる経済大国だったが、その後の20世紀半ばまでの英国による植民地支配で経済が低迷したと主張している。
モディ首相は昨年の独立記念日(8月15日)には、世界の大国だった時代に戻るべく、独立100周年に当たる2047年にはインドは先進国になると発言している。そして、モディ首相は新政策にバーラトを冠することが多く、最近の発言ではバーラトと若者のエネルギーの融合ということをよく口にする。
「新規加盟の基準」主張か
モディ首相が掲げる47年時点での国家目標は、習近平・中国共産党総書記(国家主席)が、17年10月の共産党大会で、49年の建国100周年をめどに「(国際社会を)主導する国家」を目指すとした宣言に似ていると指摘する人もいるだろう。中国とインドは、国境での紛争を抱えながら、思わぬところに共通点がある。インドはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)を構成する主要国である。国境問題を抱えるインドと中国は、BRICSの中で協調していけるのか、国際社会が注視するテーマの一つだ。
南アフリカのヨハネスブルクで8月22〜24日に開催されたBRICSサミットでは、アルゼンチン、サウジアラビア、イラン、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプト、エチオピアの6カ国が24年1月に加盟することが決まり、11カ国に拡大する。この決定におけるインドの立場について、米紙『ニューヨーク・タイムズ』(8月21日付)は、「インドは、北京がBRICSを利用して西側諸国と対立する意図を抑制するような、より慎重なアプローチを志向している」と報じた。
インドは中国が主導するBRICSメンバーの拡大に前向きでなかったと言われている。ロイター通信(8月24日付)によると「モディ首相が新規加盟の基準を明確にすることを強く主張していたため、新規加盟の合意が遅…
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週刊エコノミスト
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