インド映画「RRR」公開1周年でも熱冷めぬ日本 「ボリウッド」も復権 高倉嘉男
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「ムトゥ 踊るマハラジャ」の大ヒットから四半世紀が過ぎ、日本のインド映画ブームは「第3次」を迎えている。
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世界中で大ヒットし、アカデミー賞も受賞したインド映画「RRR」が2023年10月21日に日本公開1周年を迎えた。いまだに熱は冷めきっておらず、今でも日本のどこかで上映されている。配給会社によると興行収入は24億円近くに達しており、22年公開の洋画トップ10に入る計算だ。これまで興収トップの座を守り続けていたインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」でさえ4億円に過ぎなかったことを考えると、「RRR」の成功は別格だ。
「ムトゥ」後は不毛の時代
インド映画研究家の間では、現在の日本におけるインド映画ブームは「第3次」と数えられている。
第1次インド映画ブームは1998年の「ムトゥ」大ヒットから始まった。南インドのタミルナド州で話されるタミル語の地方映画であり、タミル語映画界のスーパースター、ラジニカーントの主演作だ。その影響で第1次はタミル語映画とラジニカーント主演作が主体だった。似たような映画が続いた上に配給権絡みのトラブルがあったせいでブームは長続きせず、気付くと日本は韓流ブームに染まっていた。
第1次インド映画ブームが去った後の日本ではインド映画不毛の時代が続いた。だが、その裏でインド本国では映画産業が劇的な進化を遂げており、グローバル市場で戦える高品質なインド映画が次々と登場していた。
日本でインド映画に再び注目が集まったのは2010年代に入ってからだった。13年に日本で公開された「きっと、うまくいく」が特に話題になり、この前後に多数のインド映画が公開された。これを第2次インド映画ブームと呼んでいる。「きっと、うまくいく」は、北インド一帯で話され、国内に6億人近くの話者人口を擁する連邦公用語ヒンディー語の映画だった。ヒンディー語映画界は俗に「ボリウッド」と呼ばれており、インド映画の代表を自認している。第2次では、「マダム・イン・ニューヨーク」や「めぐり逢わせのお弁当」など、多くの良質なヒンディー語映画が日本に紹介された。おかげでインド映画のレベルの高さが日本の映画愛好家たちに認識されるようになった。
第1次インド映画ブームではインド映画は「色物」のレッテルを貼られてしまったが、第2次インド映画ブームは、インド映画が他の外国映画と同列に扱われる素地を作ったといえる。ブームは静かに収束方向に進み始め、毎年コンスタントにいくつかの良質なインド映画が公開される理想的な環境が生み出されようとしていた。
それを一変させたのが2部構成の叙事詩映画「バーフバリ」シリーズだった。日本では前編「伝説誕生」と後編「王の凱旋」が17年に公開された。これが日本でカルト的な人気を呼び、第3次インド映画ブームが始まった。「バーフバリ」の監督、S.Sラージャマウリの最新作が「RRR」であり、この大ヒットが新型コロナウイルス禍を飛び越えてブームが維持される原動力になった。これらは、南インドのテランガナ州やアンドラプラデシュ州で話されるテルグ語の地方映画…
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週刊エコノミスト
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