哲学に学ぶパレスチナ問題 共に“残酷さの低減”目指し“超越点”を探ろう 小川仁志
有料記事
イスラム組織ハマスによる突然の攻撃で始まった中東の戦争。しかし、攻撃は突然でも、戦争自体が突然始まるわけではない。どの国にとっても武力攻撃はリスクを伴うし、それは最後の手段だ。とりわけ領土をめぐる戦争は、その前に長い対立の歴史が横たわっているといっていいだろう。
>>特集「絶望のガザ」はこちら
イスラエルとパレスチナの間で繰り広げられてきた対立、いわゆる「パレスチナ問題」は、その典型だといえよう。もともとは紀元前10世紀ごろ、ユダヤ人によるイスラエル王国がエルサレムを中心に栄えていたわけだが、その後はユダヤ人がその地を追われ、代わりにアラブ人が住み着いてきた。それがまた現代になって国際政治に翻弄(ほんろう)される形で、イスラエルが建国され、アラブ人は追いやられる格好になっている。
マーガレット・ムーア
この対立は、ユダヤ教とイスラムの宗教対立であるかのように捉えられることもあるが、歴史を見てもわかるように、基本的には領土をめぐる争いである。だとすると、その解決も領土という概念に焦点を絞って模索するのが賢明だといえる。
その点、カナダ出身の政治哲学者マーガレット・ムーアは、自決という概念から、領土をめぐる紛争について考察している。自決とは、自分の運命を自ら決定できるという意味である。
人は皆自決する存在であり、どこに住むかも自分で決めることができる。集団でどこかに住むという場合も同じだ。その場合の自決は人民の存在にかかわる集団的条件になってくる。その条件を保護するための概念が領土権にほかならない。
そうして人々は、どこか一つ場所を選び、その場所を管理しながら生きていく。その過程では当然愛着が湧いてくる。よって、ある場所が誰のものなのかを決するのは、愛着の強さなのだ。それをむげに否定するのは、人々の自決の権利を踏みにじるのに等しい。
ところが問題は、歴史的にも実情に鑑みても、愛着がまったく同等であるため、いずれの側の場所とも判断しかねるケースがあることだ。パレスチナ問題はまさにそういうケースである。
ヨハン・ガルトゥング
お互いの求めるものが同じであることが原因で、それが紛争にまで発展してしまった時、両者共に納得のいく調停をするにはどうすればいいか? これについては、ノルウェーの思想家ヨハン・ガルトゥングの思想及び実践が参考になる。ガルトゥングは「平和学の父」と呼ばれる人物…
残り1638文字(全文2638文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める