マルクス主義への懐疑と批判⑰公害規制が経済成長を抑制するというのは「錯覚」だ 小宮隆太郎
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新たな規制や厳格化への対応には、新たな設備投資や研究開発の支出を必要とする。
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こみや・りゅうたろう 1928年京都市生まれ。52年東京大学経済学部卒業。55年東京大学経済学部助教授。64年米スタンフォード大学客員教授。69年東京大学経済学部教授。88年通商産業省通商産業研究所所長。89年青山学院大学教授。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。戦後の日本の近代経済学をけん引する一方で、後進指導に尽力し、政財官界に多くの人材を輩出した。2022年10月死去。本稿は本誌1970年11月10日号に寄せた論考の再掲である。
有効需要という側面から考えても、大気や水汚染の規制を厳重にすれば、新たな設備投資や研究開発の支出を必要とする。したがって、より厳重な公害規制は、GNP(国民総生産)を増やすものではあっても、それを減らす可能性は少ない。公害規制が、経済成長をスロー・ダウンさせるというような観念は、大体において「錯覚」にすぎない。
経済コストを考えない議論
つぎに、「公害規制のために必要な費用は、GNPから控除すべきである」という主張があるが、私の考えでは、そのような主張は経済学的に誤りである。ここであえて「誤り」というのは、そのような取扱いが論理的一貫性を欠いているからである。
いま(A)奴隷制が容認されている状態、あるいは労働基準法によるさまざまな制限や、食品衛生法による人工着色料・防腐剤の使用制限、外国からの入国者に対する検疫制度等が行なわれていない状態と、(B)奴隷制が禁止され、あるいは厳格な労働基準法・食品衛生法・検疫制度等が施行された状態とを比較してみよう。
(B)の場合のほうが、企業によって一定の生産物を作る費用は必ず高くつくはずである(そうでなければ、法律によって禁止するまでもなく、奴隷の使役・幼少年労働・有害な人工着色剤の使用等は跡を絶つであろう)。このような場合に、(B)の状態のGNPなり国民所得を計算するにあたって、奴隷制や有害な物質の販売・使用が容認されていた(A)の時代を基準にして、コストの増加した部分をGNPから控除するというようなことは、まったく無意味でもあるし、また不可能でもある。
人類の社会生活の進歩の重要な一つの側面は、人命・基本的人権を尊重し、社会の衛生状態や治安を改善し、また社会的にみて望ましくない行為を排除するために、公共的な規制を設け、それを強制的に実施することによって、人々の福祉を高めてきた点にある。それらはすべて、さしあたっては何らかの経済的なコストのかかることである。そのようなコストをすべて控除したGNPなどというものはほとんど考えることができない。
国民の教養・資質・選好
別のいい方をすれば、現代社会では鉄鋼や自動車を生産し、使用するためのコストは、公害防止上の一定基準をみたすためのコストをも含めたものが、本来のコストなのである。つまり、もともとそれだけ「高くつく」ものなのである。
これまで公害を放置して「安上がり」にすませてきたのは、ちょうど有害な、しかし「安上がり」の、人工着色料やチクロ(甘味料)を使用してゴマカシてきたのと同じである。公害防止の基準が、国民全体としての選択を正しく反映するものであるとすれば、そのような規制の実施によって国民の福祉の水準も高まる。本来高くつくものを、それだけの必要な努力を払って生産したときに、それがGNPを構成するのは当然のことであろう。
人命と基本的人権の尊重・衛生・治安等さまざまな面での公共的規制は、資本主義(私企業制度)の価格機構のもとで、企業が利潤をあげる際のゲームのルールのようなものである。ルールが変われば、企業は新しいルールに合わせて利潤獲得の機会を求め、成長しようとする。ルール自体が経済的合理性に反するものでないかぎり…
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週刊エコノミスト
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