量子コンピューター開発事情 エラー修復技術や有効な用途開発が大きな“壁” 間瀬英之
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巨大な経済価値を生むとされる量子コンピューターについて、各国は「国家戦略」と位置付け、開発を急いでいる。研究開発の最新事情を報告する。
商用化が軌道に乗るのは2030年以降か
グーグルが2019年、「量子超越性」の証明に初めて成功したと発表して以降、世界各国や大学、民間企業が量子コンピューターの開発・実用化に一層取り組んでいる。「量子超越性」とは、従来のスーパーコンピューターでは解けない複雑な問題も、量子コンピューターなら解決できるという概念だ。一部の企業では、人員シフトの最適化などの業務で、既に量子コンピューター(後述する量子アニーリング方式)を実際に運用している。
テレビCM配信に
例えば、食品・ヘルスケア製品の販売大手パティソン・フード・グループ(PFG、カナダ)は22年から、電子商取引(EC)での配送ドライバーのシフトを最適化するために量子コンピューターを利用している。100超の小売店と、500人の配送ドライバーを抱える同社は、新型コロナウイルス感染症によるEC需要の高まりからシフトの最適化が課題になっていたが、多数のドライバーのシフトを人手で作ることは容易ではなかった。そこで、シフト作成業務を定式化し、量子コンピューターで解かせたところ、80時間かかっていた作業を15時間に短縮できたという。
日本のリクルートも、テレビCMの配信スケジュールを作成する際に量子コンピューターを活用している。限られたテレビ番組の枠内で、効果的にテレビCMを視聴してもらうためには、複雑な配信スケジュールの中から最適な組み合わせを導き出す必要があるためだ。手作業によるスケジュール管理に比べて、90%以上の改善を実現したとしている。
具体的な事例を見てきたが、そもそも量子コンピューターとは何なのだろうか。それは、私たちが普段見ることのできないミクロな量子の世界で成り立つ物理法則(量子力学)を利用した計算機だ。「量子」とは、原子以下の非常に小さな粒子(素粒子)やエネルギーの単位のことで、例えば、電子や陽子などが該当する。量子の世界では量子の「重ね合わせ」や「もつれ」といった、私たちの日常の世界では理解しきれない現象が起きる。この量子特有の性質を利用することで、現行の古典コンピューターより効率的に計算できる。
量子コンピューターには大きく二つの方式がある。汎用(はんよう)的な計算が可能な「量子ゲート方式」と、組み合わせ最適化に特化した「量子アニーリング方式」だ。世界的に量子コンピューターというと、前者の量子ゲート方式を指す。どちらも量子が持つ性質を利用している点は共通だが、解法手順や実現方式、制御方式、用途目的などは異なるため、まったく別の原理の量子コンピューターと考えるのが正確だ。
両方式とも、実用的な商用アプリケーションは登場していないが、実用化のフェーズは異なる。量子アニーリング方式は、前述したPFGやリクルートのように、一部が実用化されているが、量子ゲート方式は技術的課題が多く、実用までは時間がかかる見込みだ。
量子コンピューターには非常に多くの要素技術があるが、重要なポイントを1点、押さえておきたい。それは、量子ゲート方式における「量子アルゴリズム」と呼ばれる量子コンピューター専用に設計されたアルゴリズム(計算手順)である。
その代表的な例として、米国の数学者、ピーター・ショア氏によって考案された「ショアのアルゴリズム」がある。この仕組みを使った「RSA暗号」は、数字の素因数分解を使った暗号技術の一つで、例えば、10の素因数分解は「2×5」と簡単に解けるが、桁数が増えると難しくなり、計算に膨大な時間がかかるといった性質をクレジットカード取引などの暗号に利用している。
現在の暗号方式の標準である617桁(暗号鍵の長さ2048ビット)のRSA暗号の場合、現行の最高性能を持つスーパーコンピューターを使っても解読が困難とされる。一方、ショアのアルゴリズムは、素因数分解を古典コンピューターよりも高速に解けるため、現代の暗号技術の安全性に影響を与えるとして、防衛や金融などの分野で世界的に注目される。
他にも、金融機関などが資産配分を決定する際に使う数理手法「モンテカルロ・シミュレーション」の計算を高速化するQAE(量子振幅推定)アルゴリズムなど、多様な用途の量子アルゴリズムが存在する。このように、量子コンピューターの性能が古典コンピューターを上回るには、適切な量子アルゴリズムの開発が必要となる。ただし、どの量子アルゴリズムも実用的な問題を解くには、さらなる…
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週刊エコノミスト
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