《特別寄稿》人口減という静かな危機について考える 白川方明・元日本銀行総裁
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人口減少は金融危機やコロナ危機と違い、静かに、だが、確実に進行する危機である。理性に基づく正しい問題認識と対策が重要だ。
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日本の少子化・人口減少は実に深刻な問題だ。しかしその認識が広く共有されているかというと、二つの意味でそうではないと思う。
例えば、少子化・人口減少を懸念する議論に対しては、「経済成長の時代は終わった」とか、「経済的豊かさの追求から脱却すべき」という反論が少なからず聞かれる。さらに、「交通渋滞が緩和される」「都市の過密が解消する」といった議論のように、むしろプラスであることを強調する議論さえ聞かれる。そうした論者は「人口が減少するといっても、明治の初めに戻るだけ」と主張する。私にはこれらの議論は問題の本質を見据えていない、極めて楽観的な議論のように映る。問題の本質は後述するように、人口の規模自体ではなく、人口減少に歯止めがかからないことである。
人口減少は深刻と考える論者の議論についても、「深刻」と言う場合の時間軸と、いかなる意味で深刻であるかの2点において、認識が十分かどうか懸念を持っている。
到来しない「目に見える危機」
前者の時間軸であるが、「人口減少は長期的な課題として取り組む必要はあるものの、当面は取り組むべき課題がたくさんあるので、まずはそれを優先せざるを得ない」というのが大方の受け止め方であり現実の対応となっているのではないだろうか。しかし、人口減少については、金融危機やコロナ危機と異なりいやが応でも対応を迫られるという意味での目に見える危機は到来しない。あるのは静かな危機の確実な進行である。このため、危機ではありながらいつまでたっても「長期的な課題」という位置付けにとどまり、解決に必要な社会のエネルギーが十分には生まれてきていない。
他方、後者の「深刻の意味」であるが、この点については、私は二つの次元に分けて考えた方がよいと思っている。
第一の次元は国内総生産(GDP)の成長率の低下だ。GDPの長期的な成長率は労働人口と労働生産性の伸びに規定されるが、日本の労働人口は今後かなり長期間にわたり減少することが確実である以上、低下は避けられない。これによるGDP成長率の低下は多方面に大きな影響を及ぼす。
例えば、財政や社会保障といった分野では、GDP成長率の低下は持続可能性を脅かす。安全保障や外交といった分野では、国際社会における存在感や影響力は人口やGDPのサイズに左右される面が大きいため、日本のプレゼンスの低下は避けられない。このことは一抹の寂しさを持ってであるが、直感的には多くの国民が認識していることだと思う。
第二の次元は1人当たりGDP成長率の低下である。人口減少社会においてはGDPについては相対的に低下するという認識を持っている人でも、1人当たりGDPが相対的に低下するとまでは思っていないように思われる。実際、経済成長に関する標準的な理論でも、人口増加率と生産性上昇率は相互に独立の変数として扱われている。つまり労働人口が減るので、その分はGDPが減るが、1人当たりGDPには影響はない、という理解である。人口増加率がプラスの世界や、マイナスの世界であっても減少が緩やかな場合はそうした扱いは正当化できる。
しかし、現在日本が直面しているような人口が急激に減少していく状況の下でも、両者は独立であろうか。私が本稿で特に議論したいのは、この問題である。生産年齢(15〜64歳)の人口が減少に転じた1990年代中盤以降の日本の現実の政治的、社会的メカニズムを観察すると、以下のような理由から、人口減少は生産性上昇率を低下させる方向に作用しているように思える。
生産性低下の三つの要因
第一はシルバー民主主義の影響である。少子化・人口減少は同時に高齢化も意味するが、高齢者が社会の多数を占めるようになると、現実の政治プロセスでは高齢者の声がより大きく反映されるようになる。結果、政府支出についても、社会保障関連支出が増加し、将来の成長に必要な基礎的な研究や教育に振り向けられる投資的支出は抑えられやすい。
第二はテクノロジーの成果の社会実装化の遅れだ。生産性上昇はテクノロジーの発達それ自体によって起こるというより、新しいテクノロジーの成果の社会実装化によって起こる。これは自動運転にしてもさまざまなデジタル技術の行政手続きへの活用にしてもそうだ。しかし、社会が高齢化するにつれて、新しいテクノロジーへの受容度は低下しがちである。
第三は地域間の最適な資源再配分が難しくなることによる生産性の低下だ。生産性というと、個々の企業や工場の生産性をイメージしながら語られることが多いが、経済全体の生産性を決める最も大きな要因は産業間、企業間、地域間の資源の再配分である。人口減少との関係で特に問題となるのは、地域間の資源再配分が低下する可能性だ。
人口減少のスピードは市町村により異なるが、どんなに人口が減少しても、そこで住民が生活している以上、最低限の公共的インフラは不可欠である。しかし、当該地域の人口減少が進むにつれて、公共インフラの維持コストは高くなっていく。同じことは民間の提供する各種のサービスについても当てはまる。最終的には人口減少の実態に合わせて公共、民間いずれのサービスであれ、資源の再配分は行われることになるが、それぞれの地域で生身の人間が暮らす以上、調整に時間がかかることは避けがたい。その結果起こることは人口減少と生産性上昇率の低下が併存するという現実である。
私が少子化・人口減少の影響に関する日本の議論で最も気がかりなのは、上述のようなメカニズムを背景とする生産性上昇率の低下の可能性に関する認識が弱いように見えることだ。言うまでもなく、国民1人当たりの所得水準を左右するのは最終的に生産性の動向である。そう考えると、冒頭で触れた人口減少にはいいこともあるという議論はいかにも楽観的であるように思う。
取り組みの遅れの理由
少子化・人口減少は日本にとっての危機だが、危…
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週刊エコノミスト
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