人口減対策としての「多極集住」こそ地方の活路 生かすべきは観光資源と“よそ者・若者・ばか者” 冨山和彦
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補助金と「頑張リズム」で地方経済を回すことはもう不可能だ。多極集住で生産性を上げ、観光資源をフル活用すべきだ。
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日本の人口減少は、「人口自体が減る」問題と、若年層人口が先行して減り「生産年齢世代が減る」問題とに切り分けて考える必要がある。
人口が減ることで道路や水道、運輸・物流、介護、医療といった地域の基盤的な機能に対する需要密度が下がり、経済効率が下がる。加えて担い手もいなくなる。加速度的にインフラ機能が失われ、地域社会の持続可能性に赤信号がともる。これが今、地方の現状だ。
少子化対策に注力し、劇的に出生率を上げられても、効果が出るまでには数十年かかる。そこまでは今の状況が深刻化していく。だから、社会機能の維持に極めて大事なのは、インフラ産業の労働生産性を上げるべく、需要密度を高めることだ。それには「コンパクト・アンド・ネットワーク」といった「多極集住型」の居住形態に変えていくしかない。コンパクトといっても、東京は過剰集積の弊害の方が大きい。地価が上がり、近隣に居住を求めると通勤時間がかかる。可処分所得と可処分時間が少なくなる。結果、出生率に対しても明確にネガティブに働く。また、自然災害の多い日本にとって、集中しすぎてしまうのは極めてリスクが高い。だから多極化は必須だ。
ただし一極集中の反対が多極分散、ではない。中核都市が適度にコンパクト化しつつ、東京からは分散するというのが多極集住型だ。
再び旧街道筋に集約
戦後から平成にかけて、日本では実は2度、地方へ人口が拡散している。1度目は終戦直後。旧植民地からの引き揚げや、大都市を空襲で焼け出された人々の地方への移住が始まり、中山間地が切り開かれた。今でいう限界集落の多くは、この時にできた。
2度目は1972年以降だ。それまで高度経済成長で太平洋側が工業化し、集団就職によって東京や大阪に人が集まった。そこに、田中角栄政権の誕生で列島改造論が始まり、道路や新幹線、空港が作られ、再び地方へ人口が拡散し始めた。田中政権自体は短命だったが、政策自体は踏襲され、バブルが崩壊するところまでは地方人…
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週刊エコノミスト
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