国際・政治 南アジア
通算在位20年のバングラデシュ・ハシナ政権が崩壊した事情 村山真弓
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当初は公務員採用枠をめぐる学生運動だったが、ハシナ首相が野党の政権打倒と断じて混乱に拍車がかかり、退陣と国外脱出にまで追い込まれる事態に発展した。
ノーベル平和賞のユヌス氏を長に暫定政権発足
通算20年、連続で15年以上首相の座にいたバングラデシュのシェイク・ハシナ首相が8月5日、退陣して隣国インドに脱出した。女性政府の長として、世界最長の在任期間を誇ったハシナ政権の下、同国は経済成長を遂げ、国際的な存在感を高めた。ハシナ政権は今年1月7日の総選挙でも5期目の勝利を決めていたが、わずか7カ月後に国を追われる結果となった。
事の始まりは、公務員採用におけるクオータ制度の見直しを求める学生たちの運動だった。クオータ制度とは、1971年のバングラデシュ独立戦争に参戦した兵士「フリーダム・ファイター」(FF)の子孫などに公務員採用枠を割り当てる制度で、ハシナ政権が2018年に上級公務員職に関しては廃止を決めていた。しかし、最高裁判所高等裁判部が今年6月、その廃止決定を違憲とする判決を下し、これに危機感を抱いた学生運動が全国規模で広がった。
クオータ制度が廃止された2018年時点では、公務員採用枠の56%が割り当ての対象となり、実力で就職できるのは残り44%に限定されていた。最も大きな割り当てはFFの子孫枠の30%で、72年のクオータ制度開始後、FFが減少を続ける中で、ハシナ首相率いる政党・アワミ連盟(AL)政権下で97年にはFFの子ども、10年には孫までが対象に加えられていた。
ALの党是は、独立闘争を導いて初代首相・大統領となったハシナ首相の父シェイク・ムジブル・ラーマンを国父と位置付け、独立の精神とその実現に貢献した人々に敬意を払うことであった。同時に、独立戦争に反対したイスラム原理主義を標榜(ひょうぼう)する「イスラム協会」や、同党と関係が深い最大野党・バングラデシュ民族主義党(BNP)への攻撃を強めていった。
その一方、学生の間にはクオータ制度への不満が蓄積されていた。バングラデシュでは高等教育が普及するものの、学歴にふさわしい雇用が限られている現実がある。経済的に安定して社会的威信も高い公務員職、特に上級公務員職は若者にとっては垂涎(すいぜん)の的だった。適格者がいないといった理由でクオータ枠が満たされていないことも問題視されていた。
野党と相互不信の歴史
18年にダッカ大学から始まった運動は全国に拡大し、各地で治安当局・与党支持者と学生の衝突が発生した。この事態に対し、ハシナ首相は障害者や女性枠も含めた上級公務員のクオータを完全撤廃すると宣言し、同年10月には政府通達が公布された。他方で、クオータ制度復活を求める動きもあり、21年にFFの子どもら7人が上級公務員職のクオータ制度復活を求める訴えを起こしていた。
そうした中での高裁判決に対し、制度復活を危惧する学生の運動が再び始まった。最初は国立大学から、その後は私立大学や中高生までもが運動に加わった。一方、政府側は治安当局や与党系学生・青年組織を動員してこれを抑え込もうとした。この構図は18年と同じだが、政権崩壊と国外脱出にまで追い込まれたのは、二つの大きな要因がある。
第一に、クオータ制度への政権の姿勢を十分に示さなかったことである。6月の高裁判決の4日後には、政府は最高裁に上告しており、FFの子孫がALの支持基盤の一部とはいえ、政府が制度復活に固執していたとは考えられない。ただし、一日も早い政治的解決を期待した学生らに対し、ハシナ首相は「この問題はあくまで司法レベルで解決していくべきだ」と述べるにとどまり、制度見直しに消極的とも受け止められた。
第二に、ハシナ政権は沈静化しない抗議行動の狙いは野党による政権打倒であると断じ、治安当局のみならず与党系学生・青年組織の暴力による弾圧を許したこ…
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週刊エコノミスト
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