70年代の自民党内にあった政治集団はなぜ挫折したのか 井上寿一
有料記事
自由民主党の総裁選挙は、9人の候補者によって競われた。メディアは選挙戦を詳細に追った。同じ政党に所属する候補者とは思えないほど、基本的な考え方や政策構想に違いがあった。密室政治ではなく、政策論争を通して、選挙で決まる。総裁は民主的なプロセスを経て選ばれる。「政治とカネ」の問題で国民世論の強い批判を受けながらも、このような選出過程は、自民党への評価を好転させるかもしれない。
北岡伸一著『自民党 政権党の38年』(中公文庫、1026円)によれば、自民党の歴史は保守政党が包括政党化する歴史である。それゆえ自民党の政治家は多様なのだろう。
それにしても大きすぎる政党である。自民党から飛び出して新党を結成する、あるいは党内改革に努める。そのような人たちも現れる。
この観点に立つと、菅谷幸浩著『青嵐会秘録 田中角栄に挑んだ保守政策集団』(並木書房、2970円)を読んでみたくなる。1970年代のほんの数年間ではあったものの、自民党内で改革を志向するユニークな政治集団があった。それが73年7月に結成された青嵐会である。
青嵐会の政治イデオロギーは、自民党のなかでも最右翼のイメージを持つ。ところが彼らは当時の田中角栄首相の金権政治を批判して立ち上がった。その結末はどうなったのか。青嵐会の事実上の指導者の中川一郎の非業の死をもって終わった。
著者は関係者へのていねいなインタビュー取材を重ねながら、青…
残り350文字(全文950文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める