週刊エコノミスト Online 歯科技工士だから知っている「本当の歯」の話
⑰噛まなくなった日本人の謎に迫る➊ 林裕之
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江戸時代から戦前までほとんど変わらなかった1食の咀嚼回数が戦後に半減したのはなぜか──。
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「ゆっくりよく噛(か)んで食べる」──。誰もが知っている健康の基本です。よく噛むことにはさまざまな効能(後号で詳述)があるのですが、実情は「よく噛まずに食べている」人が大多数でしょう。実際、現代人の噛む回数は減っています。
図は日本人の咀嚼(そしゃく)回数の変化を表したものです。各時代の食事を復元し、噛んだ回数をカウントしました。弥生時代が突出しているのは調理技術が未発達で生に近いものを食べていたためだと思われますが、この中で特徴的なのは江戸時代初期の1465回から戦前の1420回まで約300年間は咀嚼回数にほとんど変化がないことです。それが戦後620回と半分以下に急減します。
1日にお茶わん約9杯
一般的に噛まなくなったのは、昔に比べて硬い食べ物が減ったからと説明されています。硬い食べ物は何度も噛まないと細かくならないので必然的に噛む回数が多かったという理屈です。
しかし、江戸時代以降の伝統的な食事は米飯にみそ汁、それに漬物や煮物、焼き魚などが基本。特に硬いものが多いとは思えません。したがって、硬い食べ物が減ったから噛まなくなったという説は今ひとつ釈然としません。
答えは『雨ニモマケズ』にありました。『銀河鉄道の夜』などの作品で知られる宮沢賢治は『雨ニモマケズ』という詩も残しました。昭和6(1931)年に書かれたその詩の一節に「1日に玄米4合とみそと少しの野菜を食べ」とあります。
1日に玄米4合!? 今と全く違う米の摂取量です。炊いた玄米4合は1.4キログラム、ご飯茶わん(150グラム)約9杯分となります。これだけの量をみそと少しの野菜だけで食べていたというのです。さらに調べると、江戸時代後期は1日に3~5合、明治時代の軍隊は毎食2合の麦飯で1日6合(2.1キログラム)も食べていました。大正時代の織物工場で働く女性工員たちも1日に4合の米を食べていました。
江戸時代から戦前の人々は少ないおかずに大量の米飯を食べるのが当たり前だったのです。この量を食べれば噛む回数も多くなります。玄米や麦飯ならなおさらでしょう。つまり、硬いものが多かったのではなく、食べるコメの量が多かったので噛む回数も必然的に多くなったのです。食事時間…
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