よみがえる宇沢弘文 長男が見た宇沢弘文 宇沢達 「社会を理解し、変えるため」に父は数学を用い、理論を構築した
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私は父が米スタンフォード大学にいた1959年に生まれた。父が米シカゴ大学教授になったのは5歳のときで、経済学者を招いたホームパーティーで、母の料理を手伝ったりしていた。ベトナム反戦運動に熱心に関わっていた父が、学生たちに守られるように歩いていたのを覚えている。
帰国後、中学生の私が数学にのめり込むきっかけが父の言葉だった。炎色反応(アルカリ金属や銅などの金属や塩を炎の中に入れると各金属元素特有の色を示す反応)を使って成分分析できないかと物理の先生に尋ねたら、「シュレジンガー方程式を解かないとできない」といわれた。父に話すと、「達は先生にだまされてるよ」と。難しい方程式を解けなければ現象を理解できないという教え方に父は疑問を呈したのだが、かえって私は数学に関心をもつようになった。
問題を解くのが楽しくなり、中学生で抽象代数学にまで手を広げるようになると父は突然、「数学禁止令」を出した。自身が数学の魔力にとりつかれた経験があるがゆえに、実体から離れた形式的な数学にのめり込むことを危惧したのだろう。
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週刊エコノミスト
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