近代化の促進者かつ批判者=武田晴人/12(最終回)
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日本は、国内で資金を作り出して近代化を成し遂げた例外的な後発国だ。清国にしても、第二次世界大戦後のアジア諸国にしても、工業発展は外国からの投資がきっかけとなり起きているが、日本は明治維新後も外国から資金が流れ込むことを制度的に遮断し、鎖国が続いているような状態だった。
幕末の不平等条約は治外法権を許す一方で、外国人に国内を自由に往来することを認めず、居留地に限っていた。そのため、外国人は土地を買ったり、会社に出資したりすることができなかった。規制は1899(明治32)年の不平等条約改正まで続いた。
当時の日本人は、苦しくても自前で近代化の資金を調達しなければならないと思っていた。幕末の攘夷(じょうい)思想も影響したのだろう。とはいえ、明治前期の日本には、事業リスクを単独で負える三井や三菱、住友のような数少ない富豪(後の財閥)が存在はした。だが、資金は分散して存在していたからそれを集めて近代産業に投下する仕組みが必要だった。それが渋沢の唱えた「合本(がっぽん)」の重要な意味だ。この二つの資金…
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週刊エコノミスト
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