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週刊エコノミスト Online 森永康平の おカネの真相

「国の借金が膨らむ前に更なる増税を」と主張する大人たちが知らない「お金の起源」の真相=森永康平

お札そのものは単なる紙切れに過ぎない
お札そのものは単なる紙切れに過ぎない

 学習指導要領の改訂により、2022年度から高校の家庭科の授業に「金融教育」が加わることになった。これまで金融教育と縁のなかった日本の教育機関が、子どもたちにお金について教えるというのは歓迎すべきことだが、そもそも教える側の大人たちが「お金の何たるか」についてどれだけ知っているのか、いささか心配でもある。

 そこで、筆者が親子向けに金融教育をする際、資産運用や投資などの本題に入る前に必ず話す「お金の起源」について考えたい。実は、これを知っているか知らないかで、「お金の何たるか」への理解度が大きく変わってくるのである。

小学校で習うお金の起源

 お金の起源について、いつ教えられたのかは定かではないが、確か小学校の授業だったように記憶している。内容は習う時期や地域によって多少異なるかもしれない。私自身は、次のように習った。

 まだ日本にお金がなかった時代、島国の日本では山に住んでいる人は狩りで手に入れた肉を持って海へと下りていき、海辺に住む人は漁で手に入れた魚を持って山へ向かい、肉と魚を物々交換しようとした。しかし、必ずしもすぐに肉と魚を交換する相手が見つかるわけではなく、それぞれが欲しい人を探すうちに肉も魚も腐ってしまう。そこで、「肉と魚を物々交換したい人は、いついつのこの時に、ここに集まろう」というようなルールを作った。これがいまの 「市場」の起源である。

 それから時が流れ、中国から稲作が伝わると、今度は肉や魚などの保存がきかない物を交換するのではなく、保存がきく稲を交換手段にしようということになり、そこから徐々に稲が貝や石、布などに変わっていった。貝や石なんて価値がないじゃないかと思う方もいるかもしれないので正確に言うと、貝は「宝貝」、石は「丸く削られ装飾されたもの」、布は「着物やカーペットの素材」で、それそのものに価値があった。つまりこれがお金の起源、ということだ。

お金はやがて貴金属と兌換可能に

 お金の起源になった貝や石は、その後、金などより価値の高い貴金属へと変わっていくのだが、貴金属でできた硬貨は素材自体に高い価値があるため、使用される間に削られてしまったり、そもそも自然とすり減ってしまったりするため、紙幣へと変わっていった。そして、その紙幣は貴金属との兌換(だ・かん)が政府によって保証されるようになっていく。

 米国は金とドルの兌換を保証していた時期があり、それゆえに世界の基軸通貨として強い存在感を示していたが、ベトナム戦争による軍事費拡大などで財政が悪化して金が国外へ流出したことで金とドルの兌換ができなくなり、ついには1971年に金とドルの兌換を停止する。その結果、ドルの価値が急落した。これを「ニクソンショック」と呼ぶ。

 この辺りの話は、中学校や高校の社会、歴史の授業で習うので、読者の記憶も徐々によみがえってくるだろう。しかし、このお金の起源とその変遷について冷静に考えてみると、少し疑問がわいてくるのではないだろうか。

 1万円の紙幣を、いつでも1万円分の価値がある金と交換してもらえるということであれば、誰もが紙幣を使うことに違和感はないが、実際には1万円の紙幣を日本銀行やメガバンクに持ち込んだところで、1万円分の金とは交換してもらえない。

 1万円紙幣の原価は20円ちょっとにも関わらず、私たちはなぜ1万円紙幣を1万円分の価値があるものとして受け取り、また使うことが出来るのか。この疑問に説得力をもって答えるのは意外と難しい。

「お金の起源は貝である」はウソだった?

 実は近年、これまでのお金の起源の説が間違っていたと指摘する人たちが増えている。たとえば英国の経済学者フェリックス・マーティンが2013年に出版した「21世紀の貨幣論」で紹介された、ミクロネシア・ヤップ島で見つかった石のお金「フェイ」。これは直径が最大で4メートル弱の世界最大のお金だが、当然ながら運べないため、取引は記録され、それに基づいてフェイの所有権が主張された。また、紀元前3500年頃のメソポタミアにおいては、神殿と国民の間における債権と債務の関係が粘土板に記録され、それが貨幣として扱われていたとされる。

お金の起源の通説を覆した重くて動かせないお金「フェイ」
お金の起源の通説を覆した重くて動かせないお金「フェイ」

 つまり、元々は貸し借りの記録を石や粘土板に記録し、それを計る単位として貨幣が存在し、その後にモノとしての貨幣、つまりお金が誕生したというのが近年主張されているお金の起源の説明なのである。

 急に話が難しくなってしまったので、簡単な例を出そう。たとえば山に住むAさんが海辺に住むBさんから魚をもらう際に、猟が成功したら肉をあげるという借用証書(お肉との引換券)を渡したとする。そこに船を作っているCさんがきて、BさんはCさんから船をもらう代わりに、先程Aさんからもらった借用証書を渡したとしよう。この3人の世界にはお金は存在しないが、借用証書がお金と同じ機能を果たしている。つまり、債務を記録したものがお金というわけだ。

 この話を子どもにすると、それなら誰でもお金を発行できるじゃないかという意見が出てくる。理論上はその通りだ。しかし、先程の例でいえば、AさんとBさんが絶対的な信頼関係があれば問題ないが、AさんとCさんに面識がなく、CさんにとってはAさんの借用証書など信用できないとなれば、この話は成り立たなくなる。つまり、不特定多数の中を流通するお金は、国家などの絶対的な信用力がないと発行できないのだ。

お金の認識を間違えると悲劇を招く

 このように、金融教育の基本である「お金とは何か?」という原点から認識を間違えてしまうと、時として悲劇を招くことがある。たとえば、お金を金のような何かしらの裏付けがあるものと捉えていたり、その結果としてお金には総量が決まっていると考えたりしてしまうと、政府の経済政策を誤って理解したり、だまされたりする。

 たとえば、東日本大震災の時を考えて欲しい。震災で、多くの国民が被害を受けて苦しんでいるため、政府は多額の支出をして支援することにした。これは当然だ。国民を救えるのは国だけだからだ。しかし、その結果として政府債務が膨らんでしまうので、復興特別税として増税によって財源を賄おうとした。これは震災の時に限らず、よく耳にする、「国民1人あたりの借金が1000万円を超えており、財政破綻を避けるためには消費増税をはじめとして、更なる増税は免れられない」といった話にもつながる。

国債発行は将来世代への負担になるのか?
国債発行は将来世代への負担になるのか?

 しかし、国が国債発行というかたちで負債を発生させたのであれば、同時に同額の資産がどこかで発生していないといけない。なぜなら、お金は債務の記録だからだ。つまり、「政府の負債増」の反対側には「民間の資産増」があるべきであり、その観点からすれば、国の借金を国民の数で割って1人あたりの借金を計算することがいかに無意味な行為か分かるだろう。足元では、新型コロナウイルスで苦しむ企業や国民に対して様々な支援策がとられているが、お金の認識が間違っていると、終息後に「コロナ税」という話が出てきてしまうわけだ。

人気の連載「森永康平の おカネの真相」はこちらから>>

 私はあくまで子ども向けに金融教育の一環としてこのような話をしているが、主要メディアの論調や政治家の発言を見ていると、実は大人にこそ金融教育が重要なのではないかと想いが日々強くなっているのである。

<おカネの豆知識>

▽商品貨幣論

元々はお金自体が価値のある金などの貴金属によってつくられており、それが次第に金と交換できる兌換紙幣となり、最後には金と交換されない不換紙幣となるが、全員がお金に価値があると信じているので、そのまま世の中を流通していると考える。多くの人がこのように習い、ほとんどの経済学の教科書がこの認識で書かれている。

▽信用貨幣論

お金自体には何も価値がなく、あくまで債務の記録であるという考え方。それでは、なぜ何も価値がないお金を人々はありがたがるのか。その理由の1つが納税手段として認められているからである。1万円札の原価が20円ちょっとだとしても、日本国では1万円の価値として納税できるため、日本国内では20円ちょっとで作られる紙切れが1万円の価値を持つのである。

 おカネにまつわるさまざまな「真相」に迫る「森永康平の おカネの真相」は、随時掲載します。

森永 康平(もりなが・こうへい)

 金融教育ベンチャーのマネネCEO。経済アナリストとして執筆や講演をしながら、キャッシュレス企業のCOOやAI企業のCFOを兼務する。日本証券アナリスト協会検定会員。主な著書は『MMTが日本を救う』『親子ゼニ問答』。

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