ポストに投函すれば手紙が届く今の制度は、江戸時代の助郷・飛脚を土台に維新政府が急ピッチで整備した!=伊藤真利子
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維新前のインフラ生かす郵便網=伊藤真利子
中央集権目指して迅速整備
新型コロナウイルス禍は、日本の統治機構における郵便ネットワークの意味を改めて問い直した。政府による布マスクの配布が日本郵便の配達経由だったこと、郵便局でクラスターが発生した結果、ワクチン接種クーポンなどの公用便が国民の一部に届かず問題が生じたことなどである。政府が全国民ないし全戸をあまねく把握し、情報を周知し、公共サービスを提供することは、近代に成立した国民国家による統治の基礎要件である。
同時に、郵便ネットワークは、国際郵便ネットワークと連結し、その一環を成している。UPU(万国郵便連合)に加盟している郵便事業には、自国民へのサービスと同様のサービスを、他の加盟国の国民ないし住民にあまねく提供する義務を負っている。これが、郵便事業がユニバーサルサービスとされるゆえんであり、郵便ネットワークの際立った特徴とされてきた。
維新前は飛脚と宿駅で
ところで、従来このような郵便ネットワークは、それを支える組織体(現在では郵便局)と同義に扱われる傾向がある。ここでは両者をいったん切り分け、日本の郵便事業を歴史的に振り返った上で、郵政改革の現状と問題点を検証したい。本稿ではまず、郵便ネットワークに焦点を当て、郵便局などの組織体については次回で検証する。なお、郵便ネットワークを支える組織体は、歴史的に見ても、各国事情から見ても、必ずしも郵便局という形態を取っていたわけではないことはあらかじめ述べておきたい。
郵便の創業以前、日本の通信ネットワークは、継(つぎ)飛脚(幕府)・大名飛脚(領主)・定(じょう)および町飛脚(商人など)など民間業者による飛脚制度により展開されていた。飛脚制度を支える拠点としては、主要街道に宿駅(しゅくえき)が置かれ、宿場付近で人馬を提供することが義務づけられた「助郷(すけごう)」に支えられていた。交通と通信とを混然一体として構築した公共インフラであった宿駅の上を、民間業者による公用便(幕府・領主が発する文書の通信)と民間便(商人・民間人が発する文書の通信)とが並行して展開していたといえる。
明治維新後の1871年に創業した日本の郵便制度は、この制度を一部利用して整備され、英国の近代郵便制度である王室郵便をモデルに、国営の新式郵便として創業された。
新政府の開明官僚たちは、中央集権化した自国政府…
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週刊エコノミスト
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