医学部入試の“難化”で高まる医師のキャリア志向と「地域医療崩壊」のリスク=高久玲音
地域医療担い手不足の懸念も
受験シーズンが近づき、電車内で参考書を広げる受験生の姿を目にするようになった。医療経済学を専門とするものとして、この時期に必ず思うことがある。どうして医学部は昨今のような超難関学部になったのか──。
確かに、医師は戦後一貫して最も知的で高給な職業の一つとして高い人気を誇ってきた。賃金構造基本統計調査などの統計によると、医師の平均年収は1500万円に上る。将来有望な若者が目指す職業として医師がふさわしいものであることに異論はない。ただ、医学部入試の歴史を振り返ってみると、実は必ずしも今日のように“超難関”とはいえない時代があったことが分かる。
図では筆者が編さんした河合塾の医学部の偏差値のデータを1980年から2017年まで示した。これを見ると、80年代の私立大学医学部の偏差値は55以下。国立大学は最初から難関ではあったものの、それでも偏差値は62~63にとどまる。特に私大医学部の偏差値の低さは、当時は学費が非常に高く、開業医を含む一部高所得者の子息しか入学できなかったことも影響しているだろう。
この構図は、90年代に一変する。05年には国立と私立ともに医学部の偏差値は平均で65を超えるまでに高まった。その後、医学部の高偏差値化、医師の超高学歴化は、すっかり定着して今に至る。
背景については後述するとして、急激に進展した医師の高学歴化が、社会にどのような影響を与えているのかを考察したい。筆者が着目したのは、医師の高学歴化に伴うキャリアパス(キャリアの道筋)の変化だ。
高学歴化で大病院志向に
超高齢化が進む日本では、将来的な地域医療の担い手としてプライマリーケア医(総合医)が重要になるといわれている。医師の高学歴化は逆に、急性期病院でのキャリアを志向する医師を増やすことにつながらないか。現在の医学部では、一般入試とは別枠で「地域枠」が設けられてはいるものの、“知的競争”の得意な学生を集めて医師免許を与えれば、大病院などキャリア競争の激しい環境を志向する医師が増えるかもしれない。
そこで筆者は、入学した医学部の偏差値が高かった医師と、偏差値がそれほど高くなかった医師とで、キャリアパスがどう変わるのかを検証し、成果を20年に英文学術誌上で公表した。
出身大学が異なればキャリアパスが異なるのは当然なので、同じ大学の出身であるにもかかわらず、入学時の偏差値が異なる医師同士も比較した。例えば、ある私立大学医学部の偏差値は95年から00年の間に52から62に急上昇した。一方、国立大学医学部の偏差値はこの間、60超程度でほぼ一定だった。前者の私立大学の出身者のみで比較してキャリアパスに変化があれば、高学歴化の影響によるものと考えられそうだ。
検証の結果、医学部の高偏差値化は、医師のキャリアパスに大きな影響を与えている可能性が示唆された。年齢を調整した上でみても、高度な医療システムを持つ急性期病院などで就労する確率が大きく上昇していた。専門医資格を取得する確率も上昇していた。
一方で、開業する確率は大きく減少し、「在宅療養支援診療所」などの地域医療の支え手として期待されている診療所で勤務する確率も減少していた。ただし、勤務地のある市区町村の人口密度や高齢化率などとの相関はみられず、医師の超高学歴化がいわゆる医師の地域偏在に関連しているという証左は得られなかった。
背景に経済の停滞
さて、ではなぜ医学部の高偏差値化はここまで顕著になったのか。背景として、00年代の私立大学の学費値下げなどはあるものの、筆者はバブル崩壊後のマクロ的な経済停滞の影響も大きかったのではないかと考える。
医師の給与の原資となる医療費は、世界的にみても毎年着実に伸びている。医師が不況に強い職業(recession proof)といわれるゆえんだ。多くの新卒学生が「就職氷河期」などの長期的な負の影響を受けるなかでも、医師の労働市場には全くそうした影響が観察されない、というデータもある。
米ニューヨーク州の新卒医師の就業行動を解析した南カリフォルニア大学のアリス・チェン准教授らは、08年のリーマン・ショックの時期に医師になった集団とその前後に医師になった集団を比較し、不況で就業の開始を遅らせたり就業場所を変更したり、という傾向がないことを明らかにした。
日本でも、経済的停滞により、名だたる大企業が没落し、そのスケープゴートとして官僚たたきが日常化する中で、不況にさらされない職業である「医師」になるための限られた枠を争う受験戦争が激化した可能性がある。
ただし、医師の高学歴化には、実は良い面もある。
70年代、ノーベル経済学賞に最も近い日本人といわれた経済学者の宇沢弘文(1928~2014年)は、医師が一部高所得者の子息にのみ開かれた職業であることの問題点を突いた。文部科学省の調査結果を基に、「16の私立大学医学部の入学者を調査したところ、裏金で入学したものは65%程度いた。また、裏金の平均額は600万円(現在の価値で2000万円)に上った」と指摘し、「私立医大にあえて裏口入学し、将来医師として独占利潤を享受しようとするような人が医療行為を行うということに対して、だれもが慄然(りつぜん)とした気持ちを抱かざるをえないであろう」(『近代経済学の再検討』)と批判したのである。
宇沢の掲げた社会的共通資本は「職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない」ものだ。その観点から、当時の医療界における裏金のまん延を危惧していたと推察される。社会的共通資本として医療が市場から守られるべきサービスであるためには、医療者の専門職としての高度な職業規範が必要だと言いたかったのかもしれない。
医学部の高偏差値化の下で、「難しい受験をくぐり抜けてでも医師になりたい」という若者が医師になれば、それぞれが選択した専門性の枠内において、医療の質が高まる可能性は十分にある。
一方で、筆者の研究で明らかになったように、医師の高学歴化はキャリア志向を強め、結果的に地域医療の要であるプライマリーケアの軽視につながる懸念もある。今後、人口高齢化に伴い、病院では急性期ではなく回復期・慢性期の医療機能が不足するともいわれる。いわゆる「かかりつけ医機能」を担う人材の不足も懸念される。また、医学部ばかりに優秀な人材が集まるのは国全体の人的資源の配置として非効率だという指摘もある。そうした観点も踏まえ、医学部入試の在り方について改めて丁寧に検証する必要がある。
(高久玲音・一橋大学大学院経済学研究科准教授)
■人物略歴
高久玲音(たかく・れお)
1984年神奈川県出身。2007年慶応義塾大学商学部卒業、15年同大学大学院で商学博士号取得。日本経済研究センター研究員、医療経済研究機構主任研究員を経て、19年から現職。専門は医療経済学、家族の経済学、応用ミクロ計量経済学。
本欄は、松島法明(大阪大学教授)、加藤敬太(埼玉大学大学院准教授)、高久玲音(一橋大学准教授)、加藤木綿美(明治学院大学准教授)、伊藤真利子(平成国際大学准教授)の5氏が交代で執筆します。