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郵便事業は70年代から苦境に=伊藤真利子

かつては飛ぶように売れた年賀はがきだが……(1964年)
かつては飛ぶように売れた年賀はがきだが……(1964年)

民主主義に寄与、意義再考を

 第二次世界大戦後の復興と高度成長を通じて形成された戦後日本の郵便制度は、高度成長の終焉(しゅうえん)、グローバリゼーションの進行という世界的環境変化によって大きな曲がり角を迎えることになった。

 その影響は早くも1970年代、「小包郵便」から始まった。歴史を振り返ると、明治以前の通信インフラは飛脚などの民間運送業者も一翼を担っていた。しかし、明治時代の郵便創業期、民間運送業者は通信事業から分離させられた。その民間運送業者が石油危機後の成長鈍化の中で新たなビジネスモデルを模索し、宅配便事業を開始することによって小包市場に再参入してきたのである。官独占により、ユニバーサルサービスの提供(全国一律に同じサービスを受けられること)を前提に組み上げられていた小包郵便は、規制緩和やグローバリゼーションの進行と相まって、厳しい競争環境にさらされることになったのである。

小包、民間が圧倒

 田中角栄内閣下で列島改造ブームが巻き起こると、景気は過熱し、インフレが進行した。その直後に第1次石油危機に見舞われたことによって物価が急騰した。インフレの進行による国民生活の逼迫(ひっぱく)が懸念され、強力な物価政策が実施される過程では、公共料金である郵便料金の引き上げによる価格転嫁は困難であった。

 これに対し民間では、石油危機による景気停滞に対応するため、新たなビジネスモデルが模索され、76年1月、東京・首都圏配送区域内にエリアを限定し、翌日配達や運賃の均一化を商品特性とする小口配送業務の宅配便事業を開始した。第2次石油危機後には、商業貨物の物流量が減少したことに伴い、相次いで運送事業者が従来の物流の枠を超えた小口貨物に進出した。この結果、宅配便事業を巡る競争が激化し、新たな需要を創出しながら市場規模を広げた。

 郵便事業においても将来的な成長が期待されていた郵便小包は、83年の料金区分の簡素化による実質平均約5%の値下げや84年の取り扱い重量制限の大幅な緩和など、宅配便と同等のサービスを打ち出した。87年に郵便小包を改称した「ゆうパック」の大きな特徴は、全国ネットワークと郵便法で規定される「信書の送達を国の独占」で行うこと、つまり小包の中でゆうパックのみが通信文を同封できることであった。

 しかし、後者については、88年11月の臨時行政改革推進審議会で「荷物や小包に封入できる信書の範囲を緩和すべき」と指摘され、翌89年5月から宅配便などへの通信文の同封が許可され、競争優位の条件の一角が崩されることになった。公的事業者と民間事業者の競争環境を平等にする「イコール・フッティング」は、顧客サービスの利便性を高めたが、郵便事業の経営を圧迫することにならざるを得なかった。

 更に、国際化の進展は、国際物流のあり方を大きく変化させた。80年代半ば、世界有数の物流会社が国内の物流企…

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