週刊エコノミスト Online

相次ぐロシア人作家の国外脱出 新たな「亡命文学」の誕生も 松下隆志

モスクワのクレムリン宮殿
モスクワのクレムリン宮殿

ロシアの軍事侵攻開始以来、相次ぐ文化人の国外脱出で「21世紀の亡命文学」が形づくられる可能性がある。

 9月21日にプーチン大統領が発表した部分的な予備役動員令を受けて、ロシア人出国者が急増したと伝えられている。そもそも今回の軍事侵攻が始まって以来、すでに数十万人に上るとされる多数のロシア人が国外へ逃れている。そこにはエリートや文化人──作家、ジャーナリスト、ミュージシャン、映画監督など──も多数含まれており、ロシアからの頭脳流出が危惧されているところだ。

ロシア革命時を彷彿

 ロシアの独立系メディア「ドーシチ」の元編集長で、軍事侵攻後に真っ先に戦争反対を表明したジャーナリストのミハイル・ズィガリ氏(1981年生まれ)は、今回の大量出国を100年前のロシア革命時の状況になぞらえている。当時も社会主義を目指すボリシェビキ政権に不満を持つ多数の知識人が祖国を離れたが、その中には1933年にノーベル文学賞を受賞したイワン・ブーニン、『ロリータ』の作者として知られるウラジーミル・ナボコフなど、亡命後に世界的な名声を得た作家もいた。その後もソビエト体制下で亡命の波が繰り返し起こり、いわゆる「亡命文学」は20世紀ロシア文学の豊饒な支流となった。

「世界最大の分断国家」に

 ズィガリ氏は、21世紀のロシアもまた「世界最大の分断国家」になるだろうと予言する。はたしてそれが成就するか否かは今後の情勢次第だが、すでに2014年のクリミア危機の頃にロシアを離れていた作家のボリス・アクーニン氏(1956年生まれ)が同胞の在外知識人らとともに立ち上げたウクライナ人支援のプロジェクトを「本当のロシア」と名づけるなど、「プーチンのロシア」とは別のロシアを模索する動きも見られ、21世紀の亡命文学が形づくられる可能性は排除できない。

ノーベル賞候補も脱出

 軍事侵攻を機に国外に脱出したロシア作家の中の一人、リュドミラ・ウリツカヤ氏(1943年生まれ)は、現代ロシアを代表する女性作家だ。デビューは40代と作家としては遅咲きだが、国家や歴史といった大きな物語からこぼれ落ちてしまう名もなき「小さな人々」にスポットライトを当てた物語は、国内外の多くの読者から共感を集め、ノーベル文学賞候補にもたびたび名前が挙がる。

 2011年のロシア下院選挙の不正疑惑に端を発する反政府運動では、アクーニン氏らとともに公正な選挙の実現を訴えた。14年のクリミア併合に反対を唱えた際には政権派の活動家から「裏切り者」のレッテルを貼られたが、それでもなお国内に留まり続けた。

 そんなウリツカヤ氏も、今回の軍事侵攻を受けて出国を決断した。現在はベルリン在住で、アクーニン氏の「本当のロシア」プロジェクトにも参加している。サイトの声明文では、「一人の人間とその忠実な助手たちの狂気に国の運命が左右されている」とロシアの現状を厳しく批判。現下の状況には「痛み、恐怖、恥」を覚えると吐露し、激化する戦争を止め、国のプロパガンダの嘘に抵抗すべきだと訴える。

「破滅的な未来」描く

 現代ロシア文学の異端児であるウラジーミル・ソローキン氏(1955年生まれ)は、社会のタブーに鋭く切り込む作風でつねに文壇に賛否を呼んできた。ソ連時代はモスクワの非公式芸術サークルに属し、地下出版や国外出版の形で作品を発表した。彼のように明確に体制にも反体制にも属さない作家たちの作品は「もう一つの文学」と呼ばれ、亡命文学とも異なる独自の美学を追求した。

ウラジーミル・ソローキン『親衛隊士の日』 松下隆志 訳/河出書房新社
ウラジーミル・ソローキン『親衛隊士の日』 松下隆志 訳/河出書房新社

 長年政治とは距離を置いてきたソローキン氏だが、2000年代以降プーチン政権下で生じた社会の急激な保守化やメディア統制などへの危機感から、近年の作品では独自の近未来世界を舞台にロシアの破滅的な未来を描きつづけている。以前からモスクワとベルリンを往き来する生活を送っていたが、今後は当分ロシアには帰国しない模様だ。英フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューでは、今回の軍事侵攻はプーチン政権の崩壊の始まりだと述べ、芸術家ダリのヒトラーに関する言葉を引用しながら、「プーチンは本心では勝利ではなく敗北を望んでいるのでは」と、うがった見方を示す。

体制派作家らが「軍事作戦反対派」文化人のリスト作成

 まだ30代のクセニヤ・ブクシャ氏(1983年生まれ)は、サンクト・ペテルブルグを拠点に活動する新進気鋭の作家だ。ソ連時代のとある軍事工場の歴史をポリフォニック(多層的)に描いたデビュー長編が話題となり、国内の主要な文学賞の一つであるナショナル・ベストセラー賞を史上最年少で受賞した。4人の子供を持つシングルマザーでもあり、軍事侵攻開始後に子供たちを連れてアルメニア共和国の首都エレバンに移住した。3月に書かれた手記では、自身の長年にわたる反政府活動や社会支援活動に触れ、「私たちは誤った体制のもとで正しい行いをしてきたが、もうできない」と無念さをにじませる。

 この他にも多くの著名な作家が軍事侵攻を機に出国しているが、プーチンに批判的な「内なる敵」が国内からいなくなるのは、政権側にはむしろ好都合な面もある。8月には保守作家のザハール・プリレーピン氏(1975年生まれ)らが国会で「反ロシア活動調査グループ」を立ち上げ、「特別軍事作戦」について反対もしくは沈黙している文化人のリストを発表し、彼らが「懺悔」しない場合は公職を解くべきだと主張した。深まる分断の行き着く先はいまだ見えない。

(松下隆志・岩手大学准教授)

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事