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週刊エコノミスト Online 戦争とロシア文学

「大ロシア主義」で一致する作家ソルジェニーツィンとプーチン大統領の決定的な違いとは 岩本和久

ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏
ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏

帝政ロシアをたたえ、ロシア人とウクライナ人の一体性を強調した作家ソルジェニーツィン。その理念はプーチン大統領と重なるが、両者には大きく異なる点がある。

 ウクライナ戦争をめぐる報道には、ロシアを絶対的な悪とみなす「悪魔化」が目立つ。あたかも冷戦期の東西対立が繰り返されているかのようだ。だが、社会主義と資本主義の対立、「自由なき社会」と「自由な社会」の対立であった冷戦期と、今の状況はきちんと重なるものではない。

 たとえば、ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~2008)はソ連政権に迫害され、欧米社会に支持されたわけだが、帝政ロシアを讃えるその思想は、ソ連体制はもちろん欧米の民主主義とも対立するものであり、むしろ、強権的なプーチン体制に重なるのである。ソルジェニーツィンが西側社会と立場を同じくしたのは、反ソという立場だけだ。事実、彼の保守性や反ユダヤ性は、西側社会から批判されてきた。

 ソルジェニーツィンは亡命先のアメリカで欧米社会を批判し、ソ連解体後にロシアに帰国すると、今度は新生ロシア社会を批判した。01年にはユダヤ人を問題視する大著『200年を共に』を発表する。反動的なその姿は、当時のロシアの政治家や市民を当惑させた。

『甦れ、わがロシアよ』でウクライナ人との一体性強調

 そのような評価を一変させたのがプーチン大統領だ。プーチン大統領は2000年に大統領に就任するや、すぐさまソルジェニーツィン邸を訪問した。しかも、クレムリンに招くのではなく、自ら足を運んで礼節を示したのである。

 帝政ロシアをたたえるソルジェニーツィンの思想をなぞるかのように、プーチン大統領は国家を統治してきた。ソルジェニーツィンは08年にこの世を去ったが、ロシアによるウクライナ侵攻もまた、ソルジェニーツィンの支持する大ロシア主義と重なるものだ。ソ連解体直前の90年に発表した『甦れ、わがロシアよ』の中でソルジェニーツィンは、ロシア人とウクライナ人の一体性を次のように強調し、地元住民の要請にしたがってウクライナの一部の州がロシアに併合される可能性を示唆する。ウクライナ東部の分離やクリミアの併合を予言するかのように。

 「わが民族が三つに枝分かれしたのは、あの蒙古襲来というおそろしい災難のためと、ポーランドの植民地になったためである。ロシア語とは違う別の言語を話していたウクライナ民族がすでに9世紀頃から存在していたという説は、最近になってつくられたまっ赤な嘘である。われわれ全員があの高貴なキエフ・ロシアから出ている」

 「兄弟たちよ!こうした残酷な分離はやめようではないか!それは共産主義時代の忌まわしい産物ではないか」

 「もちろん、もしウクライナ民族が実際に分離を望むなら、それを無理に抑えることは誰にもできない。しかしながら、国土の広い国は多様である。地元の住民は自分たちの地方、自分たちの州の運命を決めることができる」(木村浩訳)

「反欧米」でも理念重なる

 プーチン大統領はソルジェニーツィンを迫害したソ連の秘密警察KGBの将校だった。かつては敵対する陣営に属していた2人が和解できたのは、欧米とは異なる道を探るという立場を共有できたからだろう。反プーチンの作家エドゥアルド・リモノフ(1943~2020)の思想もまた、反欧米という点においてプーチン大統領の理念と重なる。

ソ連から国外追放され、チューリヒで記者会見するソルジェニーツィン氏(1974年)
ソ連から国外追放され、チューリヒで記者会見するソルジェニーツィン氏(1974年)

 ソ連の不良少年だったリモノフはアメリカに亡命し、そこでのすさんだ生活を『ぼくはエージチカ』などの自伝的小説にまとめ、スキャンダラスな話題作家となった。その後、90年代にはセルビア人側の義勇兵としてボスニア紛争に参加し、ロシアでは「国家ボリシェビキ党」を結成する。ナチスの赤い旗の中央に、鉤十字の代わりにソ連の鎌とハンマーを据えたこのネオナチ政党はプーチン体制によって弾圧され、非合法化された。リモノフ自身も繰り返し逮捕、投獄された。

 とはいえ、リモノフの思想もプーチンの理念と大きく異なっているわけではない。「国家ボリシェビキ党」の共同創設者である(後に離党した)アレクサンドル・ドゥーギン氏(1962~)は、ロシアを中心にユーラシア大陸の帝国化を目指すユーラシア主義の思想家であり、ウクライナ戦争においてもプーチン体制を支えている。

 現代ロシアの人気作家ザハール・プリレーピン氏(1975~)も「国家ボリシェビキ党」の党員であり、14年にすでに義勇兵を率いてウクライナ戦争に参加していた。ウクライナの東部や南部はロシア領とすべきだというリモーノフの考えが、現在の戦争を30年前に予言したものとして、プリレーピンによってふたたび取り上げられたりもしている。

利用された従軍作家の愛国思想

 つまり、ウクライナとロシアの一体性という発想は、プーチン大統領によって新しく作られたものではない。それらは30年前のソ連解体期から用意されていたのだ。そのような民族主義的・愛国的な思想をプーチン大統領が改めて採用したのである。

イワン・デニーソヴィチの一日 A・ソルジェニーツィン/著、木村浩/訳(新潮文庫刊)
イワン・デニーソヴィチの一日 A・ソルジェニーツィン/著、木村浩/訳(新潮文庫刊)

 とはいえ、忘れてはならない点が二つある。ソルジェニーツィンもリモノフも誇大妄想の思想家ではなく、実際に戦争を体験したリアリストだということだ。ソルジェニーツィンは第二次世界大戦に従軍し、戦場から収容所に送られた。彼がロシア革命を描いた大作『赤い車輪』も主人公は軍人であり、第一次世界大戦のタンネンベルグの戦いから開始される。リモノフはボスニア紛争に参加しており、その姿勢はプリレーピンにも受け継がれている。

 もう一つの忘れてはいけない点は、ソルジェニーツィンもリモノフも多数派に異を唱えた異論派だということだ。2人とも敗者の味方だったのだ。そして、ソ連やソ連後の体制にあらがっていたがゆえに、欧米社会から支持されていたのである。

 政治家であるプーチン大統領と作家を明確に分けるのは、この点だ。プーチン大統領はあくまで権力者で強者なのだ。

(岩本和久・札幌大学教授)

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