キューバの今 社会主義に絶望する市民たち 工藤律子
猛烈なインフレ(物価上昇)で海外への移民が止まらないキューバでは今、これまで維持されてきた社会主義体制の必然性が疑われ始めている。
遠ざかる自由と平等の理想
2022年9月、キューバの首都ハバナは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)による深刻な経済危機に揺れているわりには、にぎやかだった。下町の市場には、さまざまな野菜や果物が並んでいる。
貨幣価値急落
モノにあふれる資本主義国に比べれば、種類も量も圧倒的に少ないが、キューバの貿易の85%以上を占めていたソ連・東欧社会主義圏が崩壊した直後の1990年代初めよりは、マシだ。当時は売るものがなく、多くの市場が閉鎖されていた。今は商品があるだけ救いがある。が、その値段に「危機」を見た。あまりに高いのだ。
社会主義国キューバでは、国民の約7割が公的部門で働いており、その賃金は国が決める。最低賃金は、月約2000キューバペソ、日本円で2040円程度だ(取材当時、1米ドル=実質140ペソ=143円)。
「キューバ政府は、21年に公的部門の賃金を約5倍に引き上げましたが、物価も上昇。通貨ペソの価値も下がっていますから、公的部門で働く人の暮らしは大変でしょう」と、キューバ経済に詳しいアジア経済研究所(以後、アジ研)主任研究員の山岡加奈子さんは言う。
月収2040円の人たちの前に並ぶのは、1キログラム500円以上する玉ねぎやトマト、約740円の豚肉など。農牧産品市場では、政府による価格の上限設定があるため、上げ幅はまだ小さいが、食用油やバター、菓子、衣料品等は価格が高騰し、極度なインフレ状態だ。
インフレはペソの価値を急激に下げ、1ドル=24ペソに固定されていた正規交換レートは、21年1月に1ドル=45ペソになり、22年10月には闇市場で一時200ペソまで下落した。労働者の給金の価値は下がる一方だ。
とはいえ、社会主義国には「配給制度」がある。世帯ごとに毎月、一定の食料品や日用品がタダ同然の価格で割り当て販売されるので、飢え死にすることはないといわれてきた。しかし、配給の量は月に1人につきコメ3キロ弱、豆約450グラムなどで、肉は大豆製品を除けば、鶏肉約1.4キロのみ。それだけでは足りないので、買い足そうとするが、「(国営店で)鶏肉を買うのに5、6時間並ぶこともある」と、若い友人(27)はため息をつく。パンも、配給ではバーガーバンズ大のものが1人1日1個しか手に入らない。「牛乳も、6歳以下と60歳以上に配給されていたのが高齢者の分はなくなり、祖母は牛乳を飲めなくなった」
トイレットペーパーなどの日用品や家電に至っては、外貨建てカード払いの店舗でしか手に入らない。それらの店では、VISAやMASTERのクレジットカードかデビットカード、もしくはキューバで発行される外貨建てのデビットカードでの支払いが義務付けられている。海外の親戚からの外貨送金などが入った銀行口座を持たない者は、買えない。
「我慢するのに疲れた」
そんな状況下で、海外への移民が止まらない。米国税関国境警備局(CBP)によれば、21年10月からの1年間にメキシコ経由で米国へ不法入国したキューバ人は約18万人。海上で保護された者は約8000人。その多くは若者だ。1994年には、ひと夏で3万5000人を超える「筏(いかだ)難民」が米国に渡り話題になったが、現在の移民流出の勢いはその時をはるかにしのぐ。人々の不満は21年7月、全国各地で政府に対する抗議デモを引き起こした。
大学時代までずっと共産党の青少年組織でリーダーとして活躍した観光ガイドのアメリアさん(32)は、カストロ兄弟引退後の政府は「質が落ちた」と語る。
「現在の政治リーダーは、政策をきちんと国民に説明し実行することができていません。適材適所の人材登用がなされていない」
長いキューバ取材の経験を持つラテンアメリカ研究者の伊高浩昭さんも、「カストロ兄弟のようなカリスマ革命家でないミゲル・ディアスカネル大統領は、国民になめられており、反政府・反体制行動が起きやすい」と、指摘する。
不満の背景には、資本主義世界からも高く評価されてきた無償医療の質が低下したことや医薬品不足、メンテナンスの失敗による火力発電所停止で起きている長時間停電などもある。コロナで外貨の稼ぎ頭である観光業が大打撃を受け、対外債務が増大するなか、キューバ政府は、外貨が稼げる優秀な医師を海外へ派遣。国民への医療・福祉サービスや物資の供給を抑えていると、いわれている。
「生まれてからずっと危機的状況を生きてきた私たちの世代は、もう我慢することに疲れています。だから国を出ていく」と、アメリアさんは嘆く。
地域に理髪師養成校
一方、政府は、国民の自力更生に期待し、民間の経済力アップで危機をしのごうと、21年2月、自営業の職種を127種から一気に2000種以上に増やした。医療や教育などを除き、ほぼすべての仕事に自営が認められたことになる。同年8月には中小零細企業に関する政令を出し、従業員1~10人の零細企業から、36~100人の中規模企業までに法人格を与え、税の優遇措置を取った。その結果、22年1月末の時点で1400社以上の会社が設立された。
会計事務所を開き、経済アナリストとして海外メディアでも発言するアンヘルさん(30)は、これをポジティブな変化と捉える。
「キューバ経済は、サービス業中心、輸入依存、外貨依存を抜け出せずにきました。個人が会社を立ち上げ、独自に輸出入を行い、海外からの投資を呼び込めるようになれば、キューバ人のお金が国内に投資される機会が増えます。経済制度を変えるための一歩です」
写真・広告などの製作に携わってきた男性(42)も、この法令を使って会社を設立。
「国営業者を通してしか買えなかった材料や機器を海外で独自に買い付けできるようになり、利益率が上がりました。従業員も4人雇いました」と、法令を歓迎する。
また、理髪師のイリアンさん(28)は仕事の傍ら、ハバナ旧市街の一角にある無料の理髪師養成校の講師を務める。養成校は地域の理髪師が、「ハバナ市歴史事務所(市歴史地区の保全と開発を担う政府機関)」の後押しを受けて、若者に技術を伝え、その就業を応援するために立ち上げたものだ。
「僕自身、この養成校で学んだことで好きな仕事を見つけることができ、それで稼げるようにもなりました。後輩たちにもその機会を提供したい」
イリアンさんら講師役の理髪師たちは、理髪店の2階で養成校を運営し、1階の店で客の髪を切る。カット代は700ペソ(約714円)。客は金銭的余裕のある人たちだ。
彼らのように与えられた自由を生かして自ら生きる道を切り開こうとする若者もいるが、「民間にサバイバルの手段を与えているだけで、それが政権の基盤を脅かすようになれば、再び引き締めに戻る」と、アジ研の山岡さんは冷ややかにみる。それでも、一定の収入が確保できる若い自営業者の中には、自分が稼ぐだけでなく、社会貢献に努力する者もいる。
ネットの普及
キューバではまた、19年7月末から個人がインターネットコミュニティーを作り、アンテナやケーブルを設置して、国営電信電話会社のWi─Fiを利用したポータルサイトへアクセスすることが許可された。おかげで、オンラインショッピングなどのインターネットビジネスも普及。ネット利用料を月250円前後払えば、グーグルやフェイスブックなどへもアクセスでき、資本主義世界の情報が手に入る。
若者たちは既存の社会主義体制への疑問を深めると同時に、意見も発信するようになった。アメリアさんも、その一人だ。22年、フェイスブックライブで3度、現体制の問題点を指摘、抗議し、50万人以上に視聴された(が、当局に一時ネット利用を妨害される)。
「私は、3人の子を持つひとりの女性、母親として、社会主義の理想を掲げる“人間第一”のはずのこの国で、庶民ばかりが苦労を負わされるのはおかしいという事実を、正直に語っただけです。本来、政治リーダーたる者は、そうした声に耳を傾ける義務がある」
革命リーダーのカリスマと、革命前の米国による半植民地時代の格差と貧困を知る世代によって、無償の医療と教育を誇りに守り続けられてきた社会主義体制。だが、今、その維持が困難になっている。
「国民の多くは自由がないうえ、3食に事欠き、社会主義体制に絶望しています。社会主義を維持する必然性がなくなっている。人民の反逆精神は鬱積しており、そのマグマは折に触れて地表に流れ出るでしょう」と、伊高さん。
世界は現在、資本主義の「民主主義」陣営と、中国やロシアが代表する強権的な「専制主義」陣営に割れ、社会主義キューバは、後者に属することで生き延びている。だが、別の道を見いださない限り、自由で平等な社会の実現という革命の理想は、遠ざかるばかりだ。
(工藤律子・ジャーナリスト)
週刊エコノミスト2023年1月10日号掲載
ルポ キューバの今 社会主義に絶望する市民たち 遠ざかる自由と平等の理想=工藤律子