誰も撮らないものを撮る――森達也さん
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映画監督、作家 森達也/136
もり・たつや 広島県呉市生まれ。立教大学在学中は自主映画制作に打ち込む。卒業後は俳優を目指すが、急病もあって断念。さまざまな職を転々とした後、86年テレビ制作会社に入る。フリーのディレクターとなり、92年にテレビのドキュメンタリー番組「ミゼットプロレス伝説~小さな巨人たち~」でデビュー。オウム真理教信者に密着したドキュメンタリー映画「A」(98年)、続編「A2」(2001年)などを制作。初の劇映画「福田村事件」を23年9月に公開。主な著作に小説『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)など。
オウム真理教信者に密着したドキュメンタリー映画「A」や、歴史に埋もれていた関東大震災後の虐殺事件を扱った劇映画「福田村事件」など、社会が瞠目する作品を数々送り出してきた森達也さん。その素顔に迫った。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
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── これまでドキュメンタリー映画の監督として問題作を次々に発表し、2023年には初めて手掛けた劇映画「福田村事件」を公開して大きな話題となりました。
森 大ヒットと皆さんによく言われますが、この作品は大手映画会社による制作・配給ルートを使わない自主制作の映画なんです。最初はミニシアターで上映が始まって、大きな映画館へ拡大していきました。自主映画としては大ヒットかもしれませんが、大手が配給する「シン・ゴジラ」のような映画に比べれば比較の対象にならないですよ。だから、そんなに浮かれているわけではありません。
── 制作段階から手ごたえはあった?
森 いえ、公開前は「いったい誰が見に来てくれるんだろうか」という気弱な思いでした。ただ、23年9月1日が初日だったのですが、7月半ばごろから「もしかしたらこれは行けるかな」という気がしてきたんです。理由はメディアの取材です。何十社も取材に来ました。それまでの僕の映画とは比較にならないぐらいの取材依頼で、それだけメディアがこの映画に関心を持っていたということです。
── なぜ関心が高かったのでしょう。
森 これまでの東京都知事は毎年、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典に追悼文を出していたのに、小池百合子知事になって出さなくなりました。公開直前の8月下旬には、松野博一官房長官が朝鮮人虐殺について「政府内で事実関係を確認できる記録が見当たらない」と述べましたが、記者会見に出席した記者たちは「何でそんな無責任なことを言うのか」と、あきれたと思うんですよ。
だけど、新聞記者は「あきれた」とは書けないので、「この映画を使えば代弁してくれる」ということだったんじゃないでしょうか。NHKの「クローズアップ現代」でも「福田村事件」を取り上げてくれ、多くの人たちが映画の存在に気付いて「いくら何でもこれはひどい」「何で歴史的事実を隠そうとするのか」と感じたのではないかと思います。
森さんが監督した「福田村事件」は、1923年の関東大震災発生から5日後(9月6日)に、千葉県野田市(当時の福田村)で実際に起きた事件。流言飛語が飛び交う中、香川県から来た被差別部落出身の行商団を自警団が襲い、子どもを含む9人を殺害した。00年ごろ、野田市で犠牲者の慰霊碑を建立する動きを伝える記事を目にした森さんが、事件を掘り起こして構想を練り、大震災100年に合わせて公開した。
負の歴史を扱わない日本
── 「福田村事件」は当初はドキュメンタリー向けに企画したそうですね。
森 はい。テレビと映画の仕事を両方やっていた01年ごろ、「A2」というオウム真理教信者を追った2本目のドキュメンタリー映画を発表した時期でした。ただ、ドキュメンタリー映画ってなかなかペイしないんですよ。他で稼がないといけないので、テレビで何かできないかなと思って、「福田村事件」の企画を提案したのがきっかけです。
── ただ、テレビでは実現に至りませんでした。被差別部落や朝鮮人虐殺がタブー視されたからですか。
森 そう明言する人はいませんでしたが、何となく分かりますよね。そこで、テレビがダメなら映画にしようと、劇映画の企画にして14~15年ごろに大手の映画会社を回ったんですが、どこもやっぱりダメで。要するに自己規制ですよ。日本では自分たちの国の負の歴史をテーマにした映画がほぼないんです。
世界の映画界を見れば、ナチス・ドイツやホロコーストの映画はたくさん作られているし、アメリカのハリウッドだって黒人差別やネーティブアメリカンの虐殺がテーマの映画がいくらでもあります。韓国や台湾もそう。でも、日本の映画会社は、人気コミックを映画化したり、若い男女の恋愛ものやアニメ、怪獣映画を作ったりしていればいいと思っているんでしょうね。
── なぜなのでしょうか。
森 そんな映画を作っても誰も見に来ないだろうし、上映中止運動が起きて右翼が街宣車で押しかければ、お客さんも怖がるだろうと。そうはっきりとは言われないけれど、映画会社にとってメリットがないということなのだなと感じましたね。けれど、「福田村事件」は結果として多くの人に見てもらうことができ、作ってよかったという気持ちは確かです。赤字になりませんでしたし(笑)。
── どうやって制作・公開までこぎつけたのですか。
森 成り行きですよ。テレビも映画も…
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週刊エコノミスト
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