日本独自の技術で宇宙開発の突破口を 日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さん
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創刊100周年 編集長特別インタビュー/2 国力の土台となる「技術開発力」が日本で問われている。世界では科学技術の最先端となる宇宙開発が盛り上がり、宇宙ビジネスの裾野も広がる。日本の起死回生は可能か。日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋・東京理科大学特任副学長に聞いた。(聞き手=秋本裕子・本誌編集長、構成=荒木涼子・編集部)
── 米国が中心になって進める月探査「アルテミス計画」や民間による宇宙ビジネスなど、宇宙開発は今、NASA(米航空宇宙局)が1960~70年代に月を目指した「アポロ計画」のような盛り上がりが起きています。現状をどのように見ていますか。
向井 宇宙開発は今、とてもエキサイティングな時代が到来しました。旧ソ連のガガーリンによる人類初の宇宙飛行から今年で62年です。過去半世紀にわたり、人類はほぼ地球低軌道(高度400~500キロ)にしか行っておらず、低軌道上の国際宇宙ステーション(ISS)を定常的に往復してきました。再び月へ、さらに火星へと、より遠くを目指そう、と新ステージに入りました。それが盛り上がりの背景の一つと捉えています。
もう一つは、宇宙開発が民間主導型になったことです。これまでは大国が国の権威を示すような側面が強くありましたが、民間に広がり、「私たちでも宇宙を目指せるんだ」「我が社でも宇宙でビジネスができるんだ」と、より多くの人が宇宙開発の成果を享受できるようになりました。ベンチャー企業も多く登場し、新しいビジネスモデルが生まれています。
── さらに、宇宙航空研究開発機構(JAXA)による新たな宇宙飛行士候補の選抜が14年ぶりに行われたことも話題です。
向井 米スペースシャトルやロシアのソユーズなどで定常的にISSを往復してきたとはいえ、宇宙飛行士一人一人にはそう簡単にチャンスは訪れません。
選抜ではこれまで、NASAを中心とした、その時々のプログラムに必要な飛行士が選ばれてきました。私は(日本で)第1期の飛行士ですが、シャトルでの実験が中心でした。若田光一さんら第2期からはISSの組み立てや物資輸送などの技術も求められました。次の宇宙飛行士は月へ行く可能性もあり、その意味でも非常にエキサイティングですね。
── 新たに世界銀行に勤める諏訪理さんと日本赤十字社医療センター医師の米田あゆさんが選ばれました。
向井 月へと探査の範囲が広がる中、有人宇宙開発をさらに推進することを期待しています。
── 民間企業の宇宙開発では、日本でも大企業だけでなくスペースワン社(東京都)などのベンチャーまで裾野が広がっています。
向井 国としてやらねばならないものは、民間が手を出せないような、失敗がつきもので、持続的なビジネスに至らないものです。その中でJAXAに求められるもう一つの役割は、国家プロジェクトとして開拓し、民間でもビジネスとして成り立つ技術はどんどん渡すことです。宇宙に行くチャンスが増えるほど、1回にかかるコストも安くなり、多くの人が宇宙に挑戦できますから。
失敗を乗り越える精神
── JAXAと三菱重工業が共同開発した新型ロケット「H3」は3月、打ち上げに失敗しました。
向井 非常に残念なことですが、乗り越えて前進してほしいです。
── 過去にも発射中止や事故といった残念な結果もあります。
向井 失敗してもいいとは言いませんが、ギリギリの所を狙うのが国家プロジェクトです。失敗の見方はその後に決まります。諦めたら失敗になりますが、乗り越えれば「その時のつらい経験があったからこそ」と前進につながります。
例えばNASAは、スペースシャトルのチャレンジャー号(86年)とコロンビア号(2003年)での2回の事故を経験しました。私は30年以上宇宙に関する仕事をしてきて、米ヒューストンにも住んでいましたから、どちらも目の当たりにしました。宇宙に人を運ぶということは、膨大なシステムが必要で、人が作るものなのでリスクはゼロにはなりません。
チャレンジャー号の事故時、「亡くなった飛行士のためにも、新しいシャトルを作ってほしい」と、(発射基地の)地元の子どもたちがお小遣いを献金していました。米国のパイオニア精神を強く感じました。失敗を繰り返しながら歴史は進みます。少しきつい言い方かもしれませんが、米国では屍(しかばね)を乗り越えてその先に行く精神を持ってい…
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週刊エコノミスト
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