IT技術者養成でインターネットの世界を広げる インターネットイニシアティブ会長・鈴木幸一さん
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創刊100周年 編集長特別インタビュー/3 社会のデジタル化が急速に進展し、企業はDX(デジタルトランスフォーメーション)に突き進む。情報通信の世界はどこに向かうのか。日本で初めてインターネット接続サービスを導入したインターネットイニシアティブ(IIJ)の鈴木幸一会長(76)に聞いた。(聞き手=秋本裕子・本誌編集長/構成=安藤大介・編集部)
── 新型コロナウイルスの感染拡大でデジタル化が進展し、働き方や生活が変わって、多くの人がコンピューターが持つ可能性に気付きました。オンライン会議が広がり、出張にも行かなくてよくなりました。
鈴木 「コロナでも家で仕事ができる」と言われるようになりました。確かに普通の業務ならそうですね。しかし、私が若い頃、パソコンの開発などは誰も自宅で孤独な状況ではやっていませんでした。皆でけんかをしながら、酒を飲んで議論をしながら、進めてきたわけです。天才ならともかく、普通の人は一人でやっていてもアイデアなど出てきません。
例えばテレビは、それをまねて頑張って作れば、家庭用テレビを広めた米ゼネラル・エレクトリック(GE)より良いものができました。でも、インターネットの世界は、基盤を取られたら追いついて抜くというのは大変です。米国は、政府も金融機関もその覇権を取るために支援し、米国が起源という世界を作ったのです。
インターネットは情報と通信を根本から変える歴史的な転換です。しかし、それが日本ではいまだに理解されないままなのだと感じます。
過去を否定できぬ日本
── 日本も先に気付けばよかったのでしょうが。
鈴木 気付かないところが、やはり日本だなと思います。過去にできたものが変わって壊れ、次のものに変わっていくという感覚がない。新しいものに取り組もうとしないのです。
取り組もうとする「変な」人も少ない。皆、ちゃんと勉強して学校を出て……ということは、戦後の高度成長期には合ったのですが、基盤となる産業が逆転した時に、変化して対応することがなかなかできない。真面目な日本には過去を否定できないということが、あるのではないでしょうか。
インターネットはもともとは軍事技術です。米国は大陸間弾道ミサイルなどが出た東西冷戦期に、ある場所が破壊されたら全部止まってしまう電話のようなものではない、新しい通信網を作ろうと莫大(ばくだい)な金を出したのです。
そして、それを開発したのは、1970年代にかけて流行した映画「イージー・ライダー」の世界を生きた人たちです。反戦思想を持ち、素行も決して良いとはいえない、そんな人たちがシリコンバレーのような場所に集い、開発を進めていきました。米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズなども国家戦略に携わっているなどとは思ってもいなかったでしょうが、歴史的な大転換になるという感覚はあったのではないでしょうか。
── IIJが94年に日本で初めて本格的なインターネットの接続サービスを始めた際、国の認可が下りるまでに1年半の歳月を要し、苦労しました。行政に問題があったのでしょうか。
鈴木 行政だけでなく、日本全体の問題だったのでしょう。IIJは世界的にも早い段階でインターネットを導入しようとしました。当時は、国内通信がNTT、国際通信はKDD(現KDDI)と分離していた時代です。インターネット接続事業は、国境を軽々と越えて世界中がつながるわけで、むしろ「やっかいなものができてしまった」と受け入れることができなかったのです。
国家間競争に勝つ仕組み
── 米国と日本の違いでいえば、米国は官と民の人事交流が盛んである一方、日本では限られていますね。
鈴木 確かに、米国では民間で名を馳(は)せた人が役人になるようなことが多くありますね。日本ではほとんどありません。そういうことも含め、国として経済や産業、技術、科学などの分野で、国家間の競…
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週刊エコノミスト
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