サイフォンの原理を応用して断片的な記憶に流れを与える 芝山幹郎
有料記事
映画 aftersun/アフターサン
サイフォンを使ってコーヒーを抽出する。私は昔、その仕組みが腑(ふ)に落ちなかった。人に教わって概略はわかったが、科学的な頭がないため、いまだに不思議なトリックを見せられているような気がする。
「アフターサン」を見ているうち、反射的に思い出したのが、サイフォンの原理だった。
人間の脳内には、繰り返し再生される記憶の断片がこびりついている。ほとんどの場合、その断片には明快な物語や事件性が伴わない。道端や塀や靴や上衣などが、断続的に明滅する。
それでも、記憶は消えない。脳内で繰り返し再生されるのにも、なにか理由があるはずだ。その断片を、一度蒸気に変えて別の場所に移してやることで、全体の図形が見えてくるかもしれない。そう、サイフォンの原理が働くときのように。
トルコ南西部に位置するオルデニズという海辺のリゾート地に、若い父親と娘がやってくる。時代は1990年代後半らしい。8ミリビデオは出てくるが、携帯電話は出てこない。31歳の父はカラム(ポール・メスカル)、11歳の娘はソフィ(フランキー・コリオ)という。
ヴァカンス映画か、とも思うが、享楽的な匂いは漂ってこない。そもそもこの映画は、「当時の父と同い年になったソフィの思い出」と設定されている。
ソフィはエディンバラで母親と暮らしている。カラムは、離婚してロンドンに引っ越した。父と娘には特別な旅だ。旅費の捻出も大変だろうが、ふたりで過ごせる時間はめったにない。
ただ、浮かれた空気は伝わってこない。画面から…
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週刊エコノミスト
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