香港の歴史教育の今 強まる愛国主義教育 瀨﨑真知子
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香港国家安全維持法(国安法)が施行されて3年。香港の学校では中国式の愛国主義教育が一層強まり、「抗日戦争」に重点を置く歴史教育が広がっている。
対日歴史認識にも影響か
「以前に比べ、生徒が国の発展や歴史的な背景に関心を持つようになった」。30代の小学校女性教諭は国安法施行後の変化についてこう話す。「(生徒向けの)授業内容などにより注意するようになった」という。60代の学校関係者は「香港の愛国教育は不足していた」と語った。
国安法は、中国の習近平指導部が主導し、2020年6月末に施行された。国家分裂や政権転覆などの行為を処罰する法律で、捜査令状なしでの家宅捜索などを認める。これを受けて、香港政府は21年2月、国家安全教育を徹底する通達を出した。中国国旗や国歌の重要性も強調され、香港の小・中学校(日本の中学・高校に相当)では毎週、国旗の掲揚式と国歌斉唱が義務付けられた。
愛国教育に萎縮ムード
前向きな反応の一方、戸惑いや不安も根強い。元中学校副校長の羅栄新さん(63)は「どこまでが国安法に抵触するか教師自身が分からない」と話す。国安法施行以降、国家安全に危害を与える活動に関わったとして6月末までに260人が逮捕され、うち約6割が同法違反罪などで起訴された。社会全体に萎縮ムードが漂う。
別の30代小学校女性教諭も「どの程度まで教えればいいのか分からない」と苦悩をにじませた。40代の元小学校男性教諭は「授業で(不用意な発言をしてしまわないか)自己規制が必要だ」と漏らす。今回取材した教育関係者の全員が香港出身だ。当局から政治的弾圧を受ける「白色テロ」の対象になりかねないとの理由で、複数の教員から取材を拒否された。
中学校女性職員(50代)は、高校の必修だった「通識教育(リベラル・スタディーズ)」が、21年秋から「公民と社会発展」という科目に改変されたことが大きな転換になったと指摘する。社会問題を幅広い視点でとらえ、批判的思考や多様な見方を育てる狙いがあったが、中国政府は一部の教員が分離主義や反中を助長したなどと目の敵にした。
香港の教育現場で抗日戦争はどのように教えられているのか。今年7月7日、香港の中学校が開いた中国広東省深圳市との境界に当たる「辺境禁区」(立ち入り禁止区域)だった沙頭角地域を巡る見学ツアーに筆者も参加した。中国側からの不法な越境などを防ぐため、東西冷戦下の51年から立ち入り禁止となったが、香港政府は2012年以降、段階的に開放している。筆者は「ボランティア」として同行を許された。参加したのは15、16歳の生徒約30人。7月7日は、日中全面戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年)から86年目に当たる。
出発前に教室で開かれた事前学習では居眠りしたり、おしゃべりしたりする生徒もおり、緊張感はなさそうだ。引率の30代男性教諭は「強制参加ではない」と筆者に説明した。バスで移動し、沙頭角地域の境界エリアに着いた。
沙頭角は、日本占領期には中国共産党系遊撃隊(ゲリラ部隊)「東江縦隊港九独立大隊」の主要活動拠点の一つだった。中国本土と地続きで海と山に囲まれ、旧日本軍の目が届きにくかったためだ。
中国・深圳側の高層アパート群と、たなびく中国国旗を遠目に見ながら、沙頭角の検問所に隣接する客家(はっか)(漢民族の一つ)の村落を歩いた。古い家屋は近年次々と姿を消している。村民の寄付で設立された廃校跡や、山間部にある旧日本軍のトーチカ(コンクリート製防御陣地)跡にも立ち寄った。「村人が建設に駆り出された」といった説明があった。物資不足もあったのか英軍の戦時遺構と比べると簡素なつくりだ。ここで集合写真を撮り、午前の活動を終了した。
午後は、共産党遊撃隊として活動した村民らを追悼する「抗日英烈紀念碑」を訪れた。香港で最初の国家級抗戦記念遺跡だ。ツアーを企画した男性ソーシャルワーカーが碑に向かって1分間黙とうするよう促すと、生徒らが手を合わせた。その後、バスに乗り込み、夕方に学校に到着、解散した。
抗日戦争を求心力に
なぜ参加したのか。男子生徒に話しかけてみると…
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週刊エコノミスト
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