『エコノミスト』とともに生きてきた私 吉野俊彦(2003年4月15日)
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エコノミストが創刊80周年を迎えた2003年、元日本銀行理事の吉野俊彦氏に行った80周年記念特別インタビューの再掲載です。
創刊80周年記念特別インタビュー 元日本銀行理事・吉野俊彦氏
『エコノミスト』とともに生きてきた私
元日本銀行理事で旧山一証券経済研究所理事長を務めた吉野俊彦氏(87)は、『エコノミスト』80年の歴史の中でも、古くから、かつ執筆した回数が最も多い執筆者の一人である。初めて執筆していただいた時から現在までを、日本経済の歴史とともに振り返ってもらった。(聞き手/構成=平野純一・編集部)
初登場は昭和23年
私は数十回にわたり『エコノミスト』に寄稿しましたが、私にとって思い出に残っている論文、時代を反映した論文を中心に、私と『エコノミスト』の関係を振り返ってみたいと思います。
私が初めて『エコノミスト』に執筆したのは55年前、1948(昭和23)年のことで、6月21日号で「通貨安定と其基本問題」というタイトルの論文を書きました。当時私は32歳。日本銀行の調査局内国調査課長でした。
昭和23年というと、東京はまだ焼け野原が残り、生産設備の大部分がやられてしまった惨憺たる状態から、いかにして立ち上がり、経済を復興させるのか、必死になっている時でした。しかし、復興を焦るあまり、通貨増発が度をすぎると、インフレになってしまう。当時私は、日銀で一番若い課長でしたが、インフレは復興を妨げると考え、「通貨の安定なくして、経済の復興なし」と、激しい口調で主張しました。そして『エコノミスト』に、「通貨の安定は経済再建復興のための前提條件である。経済再建復興を急ぐの余り、通貨の安定をおろそ…
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週刊エコノミスト
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