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男女平等目指し75年 赤松良子「『均等法の赤松』と言われるのがうれしい」(2022年12月6日)
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週刊エコノミストは、各界の第一人者にロングインタビューを試みてきました。2004年から「ワイドインタビュー問答有用」、2021年10月からは「情熱人」にバトンタッチして、息長く続けています。過去の記事を読み返してみると、今なお現役で活躍する人も、そして、今は亡き懐かしい人たちも。当時のインタビュー記事から、その名言を振り返ります。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。(日本ユニセフ協会は2024年2月7日、赤松良子さんが死去したことを明らかにした)
男女平等目指し75年・日本ユニセフ協会会長 赤松良子
ロングインタビュー・情熱人(2022年12月6日)
女性に参政権が認められていなかった時代に生まれた赤松さん。幼い頃から世の不平等に疑問を呈し、後に、男女雇用機会均等法を立案するなど、後世に残る偉業を達成。現在も、日本ユニセフ協会の会長として活動を続ける。(聞き手=斎藤信世・編集部)
── まだ、社会に男女差別が多く残る時代に、男女雇用機会均等法の立案に携わるなど、後世に残る偉業を達成されました。赤松さんはどのような生い立ちなのですか。
赤松 私は末っ子で、両親が年をとってから生まれた子どもだったので、とても家族に可愛がられて育てられました。父は洋画家で、私をモデルとした作品も描いています。ですので、1947年に上京し、津田塾へ行く時は、悲しそうでしたね。
あの頃は、東京に行くのも大変だった時代です。戦後すぐだったので、列車には多くの復員軍人が乗っていて、窓から押し込んでもらい、やっと乗ることができました。最初は人が多くて足が床に着かなくて、ガタンゴトン揺れるうちに、やっと床に足が着いたんです。「ああ、床だぁ」と。それが東京行きの最初の思い出です。
その後、津田塾を卒業後に東京大学法学部に進学しました。津田塾を卒業したら大阪に帰ってくると思っていた母はびっくりしていましたが、最…
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