マルクス主義への懐疑と批判⑩マルクス主義的な帝国主義論は戦後の世界にはあてはまらない 小宮隆太郎
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一部のケインジアンからも戦後の一時的なブームが終わり、慢性的な不況の到来、長期停滞を予想した人は少なくなかったが、現実にはそうなっていない。
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こみや・りゅうたろう 1928年京都市生まれ。52年東京大学経済学部卒業。55年東京大学経済学部助教授。64年米スタンフォード大学客員教授。69年東京大学経済学部教授。88年通商産業省通商産業研究所所長。89年青山学院大学教授。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。戦後の日本の近代経済学をけん引する一方で、後進指導に尽力し、政財官界に多くの人材を輩出した。2022年10月死去。本稿は本誌1970年11月10日号に寄せた論考の再掲である。
J.A.ホブソンを先駆者として、レーニンによって完成されたマルクス主義の帝国主義論は、大ざっぱにいえば、次のような理論構成になっている。資本主義が独占段階に入り、独占的な銀行資本と産業資本が結合して金融資本が形成されると、資本が過剰となり慢性不況の傾向が生じる。また、独占利潤によって資本の蓄積は強化されるにもかかわらず、投資はたえず制限される。所得配分が不平等であるために、国内市場が狭隘(きょうあい)となる。国内だけでは過剰生産の傾向が著しくなる。また自由貿易にかわって独占と結びついた保護関税が支配的となる。したがって慢性不況を避けるために、過剰な遊休資本が労働力の豊富な植民地を求めて輸出され、植民地の低賃金の労働者を搾取する。
このようにして、独占資本が植民地の後進民族を政治的、軍事的に支配して資本を輸出し、他の資本主義諸国の進出を排除して、植民地の労働者を低賃金で搾取し、高利潤をあげる。やがて植民地の分割が進み、過剰資本にとって進出の余地がなくなると、資本主義列強の相互の間の帝国主義戦争が不可避となる。このように、帝国主義は独占資本あるいは金融資本の対外的(そして対内的)政策であり、資本主義の最高の、そして最後の発展段階である。
このような理論は、19世紀末から第一次世界大戦前後までの状況、あるいは1930年代については多少はあてはまる面があるかもしれない。しかし、第二次世界大戦後の今日の世界には全然あてはまらない。
戦後の植民地喪失と経済的繁栄
第二次世界大戦中あるいは戦争直後の時期に、マルクス主義の立場に立つ人のみならず、一部のケインジアンは、戦後の一時的なブームが終わってから、慢性的な不況の到来や長期停滞を予想した人は少なくなかった。
しかしその後25年間、先進資本主義国では完全雇用のみならず、高い経済成長率が維持され、繁栄が続いた。しかも第二次世界大戦によって植民地とその権益を失った日本、西ドイツ、イタリア、オランダ等の諸国が経済的に繁栄した。イギリスやフランスも多くの植民地を独立させたが、それによって本国経済の繁栄はそこなわれなかった。
資本は過剰にならず、慢性不況の傾向は生じなかった。国内市場は狭隘化せず産業の競争条件は独占化どころか、より競争的になった。植民地への資本輸出が必然的であるどころか、植民地を失って身軽になった本国はかえって繁栄した。
それでは、なぜマルクス主義者や一部のケインズ派の予言があたらなかったのだろうか。
第一に、帝国主義者や停滞論者たちは、1870年から19世紀末にかけてイギリスにみられた「大不況」の傾向や、1930年代のアメリカでの不況を単純に延長し、必然的でないものを「資本主義のもとでの必然性」と見た。これにはケインズ革命以後、財政金融政策の諸手段によって、経済全体としての有効需要を調節する景気安定政策が普及し、ほぼ定着したことが大いに寄与している。
しかし、ケインズ的な景気安定政策の役割を過大評価してはならない。もし資本主義経済のなかに資本の過剰を作り出したり、長期停滞に向かう本来的な傾…
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週刊エコノミスト
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