マルクス主義への懐疑と批判⑪合理的な企業経営者は平和、国際主義者であれ 小宮隆太郎
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戦争と軍備の負担が軽くなったほうが、経済的に繁栄しうる。軍事費や対外援助の負担のために、国民の税負担が重く、社会福祉や教育・研究の支出を削減せざるをえない。
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こみや・りゅうたろう 1928年京都市生まれ。52年東京大学経済学部卒業。55年東京大学経済学部助教授。64年米スタンフォード大学客員教授。69年東京大学経済学部教授。88年通商産業省通商産業研究所所長。89年青山学院大学教授。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。戦後の日本の近代経済学をけん引する一方で、後進指導に尽力し、政財官界に多くの人材を輩出した。2022年10月死去。本稿は本誌1970年11月10日号に寄せた論考の再掲である。
もっと古い時代の帝国主義についても、マルクス主義の帝国主義論は正しいとは思われない。たとえば、中南米に進出したアメリカの企業が、キューバで砂糖、あるいはニカラグアでバナナやパインアップルをつくる。アメリカ企業が現地側とトラブルを起こすと、有利に事を解決するために、政治的・軍事的に威嚇し、さらには戦争によってでもアメリカの権益を擁護しようとし、また地元の腐敗した政治家や支配階級と結びついて、一般国民を抑圧する。このようなやり方はアメリカ帝国主義として非難され、キューバのように反米、独立のための戦争が展開されることになる。
ところが、このような帝国主義的侵略は、資本主義の発展の必然的な結果ではない。マルクス主義者たちは、総じて「歴史的必然性」がお好きのようだが、植民地への資本輸出や軍事的支配は、本国経済の発展──マルクス的にいえば、資本の拡大再生産──の必然的な結果でもなければ、本国経済の発展にとって必要なことでもない。アメリカ経済の全体の動きにとっては、それはとるに足らぬことだ。キューバなしでも、アメリカ経済は少しも困りはしないのである。
それどころか、植民地が本国経済に対してもっと大きな比重を持っていた諸国でさえも、植民地を失い、すベての経済的権益を失っても、そのために経済発展が長期的に制約されるということはなかった。日本の場合でも、満州はもとより台湾や朝鮮がどれだけ「日本資本主義」にとって必要であったろうか。純経済的には植民地がもたらした利益よりも負担のほうが大きかったように思われる。
経済軍事化の必然性の誤り
帝国主義論と密接な関係のある考え方として、資本主義のもとでの経済軍事化の必然性という考えがある。すなわち独占資本は、つねに過剰生産の危険にさらされるために、戦争あるいは軍事的緊張をつくり出し、巨額の軍事支出を行うことによって、軍需産業を維持し、辛うじて不況を回避してゆく、という観念である。このような「経済軍事化の必然性」という考え方は、資本主義に対する「過少消費説的観念(資本主義の矛盾の原因は、大衆の消費力が不足することにあるとする理論)」を基礎としている。「過少消費説的観念」はマルクス経済学の立場の人々だけでなく、ケインズ左派(ことに日本の)一部にもその傾向が認められる。
かつて社会党の幹部と話し合ったときに、そのなかの一人が「ベトナム北爆停止の発表があったときに、ウォール・ストリートで株価が上がったのはどうしてなのか。われわれの考えからいえば、戦争が終われば不景気がくるから、株価は下がるはずだと思うのだが……」という質問を受けた。それはまったく簡単なことで、現在のアメリカにとっては、戦争と軍備の負担が軽くなったほうが、経済的に繁栄しうると考えられているからである。軍事費や対外援助の負担のために、国民の税負担が重く、また社会福祉や教育・研究のための支出を削減せざるをえないのが現状である。
戦後のイギリスの場合にも、西ドイツと比べて軍事支出の負担が重いことが、経済の停滞の一つの原因になっているという考え方が…
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週刊エコノミスト
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