日米金利差が縮小しても円高調整は限定的と予想する理由 山田修輔
投機的な円売りポジションは構築されていない可能性が高く、円高への調整は限定的と予想する。
機関投資家や金融機関はおおむね2024年にドル・円が下落(ドル安・円高)すると予想している。論拠はFRB(米連邦準備制度理事会)の利下げと日銀の利上げによる日米金利差の縮小だ。「円キャリートレード(円を売ってドルを買う取引)の巻き戻しにより、ドル・円は130円を割る」との予想も聞こえる。当社もFRBの利下げと日銀の利上げを予想している。
よって、筆者も過去3年見られたような力強いドル・円上昇は予想していないが、一方、円高調整は限定的となると見ている。FRBの4回利下げ(計1%ポイント)、日銀のマイナス金利撤廃と、その後の0.25%の利上げを前提としても、年末予想は1ドル=142円だ。
本稿では特にリーマン・ショック前の円キャリートレード相場と現在との違いを指摘することで、日本円が置かれている環境を説明したい。当時も今もFRBの政策金利は5%超で、日銀の政策金利が0%または僅かなマイナスであるため、金利差の水準は似通っている。しかし、決定的な違いが2点ある。
収支構造が大きく変化
まず、日本の収支構造が大きく変化した。昨年10月までの12カ月で、日本の経常収支(季節調整後)は20兆円の黒字だったが、直接投資収支は22兆円の赤字(対外投資超過)となっており、合算した基礎収支は2兆円の赤字となった(図1)。同期間ドル・円はおおむね130~150円のレンジで推移しており、これだけの円安水準でも日本の基礎収支が黒字化しなかったことで、日本円の直面する構造問題が浮き彫りとなった。
翻って、リーマン・ショック前の07年は、経常収支が25兆円の黒字、直接投資収支が6兆円の赤字で、基礎収支は19兆円の黒字だった。
対外直接投資はリーマン・ショック後に加速したが、当初は強烈な円高に対応するための生産拠点のオフショアリング(海外移転)の意味合いもあった。しかし、ここ10年は為替は購買力平価(為替レートは2国間の通貨の購買力やインフレ率で決まるという理論)ベースで見ると円安気味に推移しているにもかかわらず、対外直接投資の勢いは加速している。これは、対外直接投資が、人口動態による内外経済成長格差を反映した企業の長期戦略を反映したものに成り代わっていることを示唆している。
また、昨年は市場予想に反して米国経済の根強さが目立った。今回の米国景気サイクルにおける原動力は、コロナ禍における過去最大級の財政支出だ。米国政府の財政措置によりコロナ禍で家計の貯蓄は過剰となり、経済再開後の力強い消費につながった。これは、米国のセクター別の債務残高を見れば一目瞭然だ。米国政府の債務GDP(国内総生産)比率は過去4年で15.2%ポイント上昇した一方、家計、非金融法人、金融法人の債務GDP比率は3.3%ポイント低下した(図2)。
一方、リーマン・ショック前は、欧米の民間部門がレバレッジ(借り入れ)を高め、経済活動の原動力となっていた。なぜ民間部門がレバレッジを高めたかは複合的な要因があるが、将来の経済環境について楽観が根幹にあったからこそ、レバレッジは高められたのだろう。米国の住宅バブルや、BRICS経済の成長期待などだ。同時期、米国政府の債務GDP比率は6.7%ポイントの上昇にとどまったのに対し、民間部門の債務GDP比率は41.8%ポイント拡大した。
基礎収支が赤字構造に
ここで話を為替に戻す。以上から次の2点が推察できる。
第一に、日本の基礎的国際収支が赤字構造に転じたことで、今回の円安局面では投機筋にとって円売りの機会が乏しかった。直接投資は長期投資であるため、あまり為替水準に左右されない。
一方、投機筋は水準をより重視する。1ドル=120円と140円の差は、投機的な円売りの判断に大きく影響しようが、直接投資の判断への影響はより軽微だ。逆にリーマン・ショック前の円安局面は日本の基礎収支が黒字であったため、円買いが恒常的に発生しており、投機筋に円売りの機会を与えていたと推察される。
第二に、今回の米国景気回復、拡大が財政支出による部分が大きかったため、積極的なリスクテークが進まなかった。民間部門は積極的にレバレッジをかけ経済活動を活発化させたわけではなく、政府にマネーを流し込まれ半ば強制的に消費や投資を促された。その結果インフレが発生し、FRBの急速な金融引き締めにつながった。これが、ここ2年間、米国景気好調の中でも目先の景気後退懸念がくすぶり続けた一因だと思われる。
当社の債券投資家調査では、23年5月から「最良の日本関連トレードは何か」という質問項目を設けているが、「円売り=円キャリートレード」の回答率が「円買い=米景気後退ヘッジ」の回答率を上回ったのは9月調査のみだ。また、証拠金業者の顧客建玉(未決済取引残)の推移を見ても、23年4月から10月にかけて個人のFXトレーダーは円買いの持ち高が円売りの持ち高を上回っていた。
リーマン・ショック前の世界では、基本的に実体経済に対する楽観が持続した。その中で欧米の民間部門がレバレッジを高めたが、低金利の円は調達通貨として使われ、間接的、直接的にレバレッジ拡大を増長した。
総じて、今回の金利差拡大局面では、過去のような投機的な円売りポジションは構築されていない可能性が指摘できる。
結論として、円キャリートレードが積み上がっていないと推察される今回のサイクルでは、1ドル=130円を割るような円高が発生するためには、米金利が大幅に低下する必要がありそうだ。現在織り込まれている程度の緩やかな利下げであれば、円高の余地は限定的となるだろう。また、日本の基礎収支が赤字構造に陥っているため、長期的な円安リスクには引き続き注意が必要だ。FRBの利下げで円高調整が発生すれば、円相場にとっては干天の慈雨ともいえるだろう。
(山田修輔〈やまだ・しゅうすけ〉BofA証券調査部首席FX金利ストラテジスト)
週刊エコノミスト2024年2月6日号掲載
円高の幻想 円キャリートレード 「巻き戻し」は限定的 130円超えハードルは高い=山田修輔