週刊エコノミスト Online 神の「家系図」で読み解く世界三大一神教
⑥普遍性を持ち拡大したキリスト教 出生地から追われ迫害されたユダヤ教 福富満久
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イエスは処刑されたが、ユダヤ教の中からイエス派、もしくはナザレ派と呼ばれる人びとが生まれ勢力を拡大、キリスト教は世界宗教になっていく。
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イエス・キリストはガリラヤ地方(今のイスラエル北部)で宣教活動を開始したが、一方で多くの敵をつくった。イエスは12人の弟子を選んで「使徒」と名付け、ガリラヤ湖の西岸で「山上の垂訓(説教)」を行った。イエスが湖の上を歩いたり、多くの人の病気を治癒させたり、死者をよみがえらせたりするのを見た人々は、「神の子」だとして彼を拝んだ(マタイ書14.33)。
ところがイエスの名声が高まるにつれ、ユダヤ民族の祭司長や民の長老たちは、イエスを捕らえて殺そうとした。さらにイエスの弟子の一人でイスカリオテのユダという者が、「あの男(イエス)を引き渡せば幾らくれますか」と聞き、銀貨30枚が支払われることを知ると、その機会を狙うようになった(同26.15)。
特に彼らの怒りは、イエスが神殿の崩壊を予測(同24.2)、神の神殿を打ち倒し、3日あれば建てることができる(同26.61)と言ったり、律法学者とファリサイ派(パリサイ派)の人々を不幸であり偽善者だと糾弾した(同23.1〜29)ことも反感を高めた。こうしたことから律法を頑固に守ってきたユダヤ教のファリサイ派の者たちが、イエスは神を冒涜(ぼうとく)しているなどとして裁判を起こし、ユダヤ民族を治めていたローマ総督ポンティオ・ピラトによってイエスに死刑が宣告されるのである。
イエス、はりつけに
紀元30年4月7日金曜日、イエスは100キログラム近くもあったとされる重い十字架を背負わされて、ピラトの邸宅からゴルゴダ(アラム語で頭蓋骨(ずがいこつ)の意の通り白い岩肌でゴツゴツしている)の丘の刑場へ向かうことになった。町にはイエスの処刑を悲しむ人、反対に悪口を浴びせる人たちなどであふれかえり、多くの群衆に囲まれながら約1.5キロメートルの距離をイエスは倒れそうになりながら歩いたと言い伝えられている。途中、見かねた2人の男が道から飛び出して、共に十字架を担いだとされる。
死刑宣告を受けたイエスが、十字架を担がされてゴルゴダの丘まで歩んだ道は、エルサレム旧市街にあり、「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」と呼ばれている(写真①)。イエスはいばらの冠をかぶせられ、ローマ兵たちに鞭(むち)で打たれたとされている。十字架の重みに耐えかね3度倒れたと伝えられているが、ピラト総督の邸宅から始まり、ゴルゴダの丘にある終着点の聖墳墓教会まで道中にはこうしたさまざまなエピソードを示すステーションと呼ばれる標(しるべ)が全部で14カ所ある。巡礼者や観光客は、イエスが十字架を背負って歩いたこの道を、思い思いに立ち止まりながら祈りを捧げるのである。
イエスが磔刑(たっけい)に処されたとされる場所には今も世界中から多くの信者が祈りを捧げに訪れる(写真②)。
紀元後313年にキリスト教を公認宗教として認めたローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが326年に聖地巡礼した際にこの場…
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