⑦ユダヤ教とキリスト教の信者を受容するイスラム教 福富満久
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神アラーはイスラムへの改宗が望ましいとしながらも慈悲深く、ユダヤ教やキリスト教を一定程度認めている。
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聖書はユダヤ教、キリスト教にとっての聖典にあたるが、イスラム教の聖典にはコーラン(クルアーン)がある。ただし、イスラム教でも旧約・新約の聖書も聖典とされている。実際、そのコーランには、澄み切った蜜の川がある楽園の話や、ノア(ヌーフ)、モーゼ(ムーサー)、アブラハム(イブラヒム)、ヤコブ(ヤアクーブ)、ソロモン(スライマーン)、ダヴィデ(ダーウド)、聖母マリア(マルヤム)、イエス(イーサー)などの話が登場する。
地球は神アラーが創造し、サタン(シャイターン)がこの世を貶(おとし)める。この世はただつかの間の楽しみであり、神のもと(来世)に導かれるためには信仰しなければならない。
もともとコーランによると、神はユダヤ人に最初に神の言葉を伝えたが、ユダヤ人たちはその教えを守らなかったために、イエスに神の言葉を伝えた。だが、それも守られず、最後の預言者としてムハンマドを選び神の言葉を伝えたのであった。そのため、イスラム教はユダヤ教もキリスト教も認めており、その信者を「啓典の民」として受容する。
アブラハムの子たち
ムハンマドは、コーランではアブラハムの系統を継ぐものだとされている。聖書「創世記」には、アブラハムと正室のサライの間には長く子宝に恵まれなかったと書かれている。そのためサライが、子供を望む夫に対してエジプト人の使用人の女ハガルを妻として与えた。
ところが、ハガルが身ごもると、女主人(サライ?)を軽蔑の目で見るようになった。サライは、ヤーウェにそれを裁くように懇願すると、「おまえのつかえめはお前の手の中にある。好きにせよ」と答えたので、サライはハガルをいじめたのだった(創世記16.6)。
このことでハガルはサライのもとから逃げるのだが、ヤーウェの使いが「どこに行くのだ」と呼び止めた。ハガルは、「サライから逃げているのだ」と答えた。ヤーウェの使いは、「お前は男の子を産む。その子をイシュマエル(イスマエル)と名付けよ」と言うのであった。その言葉通り、ハガルはアブラハムの男の子を産み、アブラハムはその子をイシュマエルと名付けた。アブラハムは86歳だった。
だが、その後サライも身ごもることになった。アブラハムが99歳の時、ヤーウェが現れて、「お前が多くの民族の父となることを約束しよう。お前に多くの子を産ませる。王たちはお前から出るだろう」(創世記17.7)としてサライにイサクを産ませて、その子ヤコブに12人の族長を与えるのであった。
聖書上のアラブ人の起源
サライは自分の子イサクと、自分の使用人のハガルが産んだ子が遊んでいるのを見て、アブラハムに「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はイサ…
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週刊エコノミスト
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