⑧「神の言葉」を授かったムハンマドは孤児だった 福富満久
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貧しく苦労した青年は「コーラン」を授かり、イスラム教の布教活動に入った。厳しい環境の砂漠の民には浸透していく。
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イスラムとは「服従・平和」を意味し、イスラム教徒を表すムスリムとは「帰依した者」を表す。文字通り神に全てを委ねた者を指す。このイスラム教徒にとって神とは「アラー」であり、唯一絶対的な存在である。
この神の言葉を授かったのがムハンマドであった。彼は、現サウジアラビアのメッカの小さな部族出身で、父はムハンマドが生まれる前に亡くなり、母も彼が6歳の時に、そして後見人だった祖父も8歳の時に亡くなった。完全な孤児になったムハンマドは伯父に引き取られて育った。その伯父は名門クライシュ族の流れをくむ有力なハーシム家の当主であったが、すでに一門の勢力は大きく失われ、ムハンマドは貧しい幼少期を過ごした。
コーランに「もともと孤児で道に迷っている汝(なんじ)を見つけて、優しく手を引いてくださったお方、赤貧の汝を見つけて金持ちにしてくださったお方」(コーラン第93章6-8節)や、「よいか、孤児は決して蔑(さげす)んではならぬぞ。物乞いを決して邪険にしてはならぬぞ」(コーラン第93章9-10節)のような話が繰り返し出てくるのは、決して偶然ではない。ムハンマド自身とても貧しく苦労したために、このような言葉が残されているのだ。
命を狙われた「預言者」
厳しい生活を強いられていたムハンマドに大きな転機が訪れたのは、ハディージャという交易商社を営む裕福な未亡人に雇われ、彼女と結婚したことによってであった。当時ムハンマドは25歳、ハディージャは40歳前後だといわれている。
その後、不自由のない暮らしを送っていたムハンマドが40歳になる610年、彼の人生のみならず世界を大きく変える出来事が訪れる。メッカの近郊ヒラー山(光の山)で瞑想(めいそう)していたところ、天使ジブリール(ガブリエル)が降り立ち、神の言葉を授けるのだ。この神の言葉が「コーラン」である。
ムハンマドは布教にただちに入るが、命を狙われるようになってしまった。なぜなら当時のメッカは商業都市であり、それぞれが自分の商売の「神様」を持つ多神教の世界だったため、拒絶されたのである。また、神の前に皆平等とか、礼拝といったムハンマドが布教している教えが広まると部族社会の掟や社会慣習が通用しなくなってしまうことをクライシュ族の有力者たちも恐れたのだった。
そこでムハンマドと数名の仲間たちはメッカからメディナへ居を移し、イスラム教をそこから広めることにした。イスラム教団が創設された622年7月16日をイスラム歴の元年にしているが、これをヒジュラ(聖遷)と呼ぶ。そこから632年にムハンマドが天に召されるまでの10年間に支持が急拡大し、630年には、メッカを征服して多神教の神々が置かれていたとされる場所をイスラム教の神殿とした。これがイスラム巡礼者の聖地の中の聖地、現代にもつながるカーバ神殿である。
その後、アラビア半島を政治的・宗教的に統一したイスラム教団は、ムハンマド亡き後、ムハンマドの後継者であるアブー・バクル、オマル、オスマン、アリーという4人の後継者(カリフ)のもとで勢力をさらに拡大し、641年にはエジプトを支配する。
661年、現シリアの首都ダマスカスを中心にお…
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週刊エコノミスト
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