経済・企業 エコノミストリポート

「健康経営」の死角 業績改善への因果関係も乏しく 稲井英一郎

機能性表示食品で死亡事故を起こした小林製薬も「健康経営」に認定されたままだ
機能性表示食品で死亡事故を起こした小林製薬も「健康経営」に認定されたままだ

 多くの企業が認定されている「健康経営」。だが、具体的な効果は不透明というのが実情だ。

大流行の「健康経営」だが、効果が見えない

 機能性表示食品の「紅麹(こうじ)」サプリメントで5人が死亡、300人近くが入院した小林製薬▽上級生らによるパワーハラスメントで宝塚劇団員が死亡した阪急電鉄▽下請け法違反で公正取引委員会から違反勧告を受けた日産自動車▽自動車保険の不正請求問題を巡り金融庁が業務改善命令を出したSOMPOホールディングス──。

 最近大きな不祥事を起こした企業に共通することがある。それは「健康経営」で優良な法人と認定された企業であることだ。健康経営は、特に大企業で流行している経営概念だ。

 もちろん不祥事の原因は健康経営ではない。しかし、消費者や顧客を傷つけハラスメントを放置した企業が、この原稿の執筆時点でも従業員に対する健康増進を誇る姿に首をかしげてしまう。

 健康経営とは、1990年代の米国で提唱された「従業員の健康管理に投資することが企業の業績向上につながる」という思想に基づくものだ。

大企業の3割を認定

 日本政府が初めて健康経営に言及したのは、2014年に改定された安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」の3本の矢で掲げられた成長戦略だった。経済産業省は健康経営を普及させるべく、15年に東京証券取引所と協力して、これに取り組む企業の株式銘柄を選定して「健康経営銘柄」を発表した。さらに「健康経営」に取り組む優良法人を、経済界、保険者、自治体、医師会などのトップで構成する「日本健康会議」が顕彰する制度を17年に創設した。

 経産省の説明を借りれば、「従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践」すれば、生産性向上や医療費抑制、業績向上をもたらし、成長と株価向上につながると期待され、「国民の健康寿命」も伸ばすという。(図1)。

 そのため多くの大・中小企業の経営者が「健康経営」の優良法人認定に手を挙げた。24年度は、2988社の大規模法人が優良法人に認定されたが、これは全国に約1万社以上といわれる大企業の3割にあたる。中小規模法人では1万6733社が認定され、その人気ぶりに、経産省から委託されたと称して怪しげな健康経営セミナーに勧誘する業者まで出始めた。

 しかし「健康経営」優良法人の認定要件に、大規模な不祥事や不正を起こさないと誓約させる項目はない。従業員の定期健診やストレスチェック、産業医や保健師が関与する体制の整備、禁煙の奨励、労働基準法や労働安全衛生法の順守を経営トップがコミットするといったもので、企業に求められる当たり前のことばかりだ(表)。申請時の書類に虚偽記載したり、申請後に関係法令に違反したりしない限り、認定取り消しや返納はしなくてよい。

 だから消費者を死亡させ、顧客をだましても認定は取り消されず、返納されない。冒頭に掲げた企業以外に、大規模な認証不正が発覚した日野自動車やダイハツ工業、トヨタ自動車、ホンダも優良法人のままだ。

 認定法人のうち、とくに優良とされ、「ホワイト500」と呼ばれる上位500社の取り組みはどうか。例えば、ある情報通信系の法人が公表した健康経営戦略マップを見ると、「朝食を食べよう」「ウオーキングキャンペーン」「睡眠に関する研修」などが挙げられ、これによって「生活習慣病の有所見者率(医師の診断が異常なし、要精密検査、要治療などのうち異常なし以外の者の率)を減らす」「(ストレスチェックによる)高ストレス者の比率を減らす」ことなどで生産性を向上させるとする。

 別のホワイト500の不動産業法人には、やはり「健康イベントの開催」や「運動・食事・睡眠・禁煙セミナー実施」などの取り組みで有所見者率や離職率が下がり、生産性向上や持続的成長につながるとするが、生産性や業績向上がどのようなメカニズムで達成されるかは説明されていない。

株価との関係も未証明

 米国での健康経営は日本と同一ではないが、先行研究によると、優良な健康経営企業群と米国を代表する銘柄で構成するS&P500の株価を比べた場合に、13年後にS&P500は0・99倍だったのに対し、健康経営企業群は1・79倍に向上していたというデータがよく引用されている。しかしこれは、業績が良い企業は財務面でゆとりがあり、健康経営に取り組んだだけかもしれず、健康経営と株価上昇の因果関係は証明されていない。

 労働生産性向上について米国では、欠勤率のほかに「プレゼンティーイズム」という考え方が提唱されている。これは「何らかの疾患や症状を抱えて働いていると業務能力が低下する」という仮定から、潜在的な労働損失コストを試算するものだ。ある大企業ではその損失が人件費の1割に相当したとする報告もなされたが、こうしたコストはバーチャルな数字で、労務管理の参考にはなっても欠勤によるコス…

残り1539文字(全文3539文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

7月9日号

沸騰!インド・東南アジア16 インドで7月から信州そば 日本食や外食業にチャンス■谷道健太/和田肇19 注目のインド銘柄はこれだ 見逃せない金融やIT業種■大山弘子20 インド経済 高成長期待に実態追いつかず 製造業・輸出産業の確立急務■池田恵理/佐藤隆広22 半導体 国を挙げての国産化推進 日米欧 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事